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ジャガー・XJ:ライオンズ卿の最後の傑作

1968 Jaguar Xj6ジャガー・XJ6 シリーズ1(4.2L)諸元データ

・販売時期:1968年~1973年
・全長×全幅×全高:4813mm × 1772mm × 1340mm
・ホイールベース:2762mm
・車両重量:約1700kg
・ボディタイプ:4ドアサルーン
・駆動方式:FR(後輪駆動)
・エンジン型式:XK型 直列6気筒DOHC
・排気量:4235cc
・最高出力:186ps(139kW)/4500rpm
・最大トルク:35.6kgm(349Nm)/3750rpm
・トランスミッション:3速AT(ボルグワーナー製)または4速MT
・サスペンション:前:ダブルウィッシュボーン+コイルスプリング / 後:独立懸架式
・ブレーキ:4輪ディスクブレーキ
・タイヤサイズ:205VR15
・最高速度:約200km/h
・燃料タンク:約82L(2タンク方式)
・燃費(JC08モード):非公開
・価格:発売当時 約2,500ポンド(英国本国価格)
・特徴:・創業者ウィリアム・ライオンズ最後の設計となった歴史的モデル
    ・独立懸架サスペンションによる卓越した乗り心地と静粛性
    ・複数存在したサルーンラインナップを1台に統合した野心作

 

イギリスの高級車と聞いて、多くの人がまず思い浮かべるのがジャガーではないでしょうか。

その中でも、ジャガー・XJという名前は、ブランドの歴史そのものを象徴する存在です。

今回ご紹介するのは、1968年に登場した初代XJ、通称シリーズ1です。

実はこのモデル、ジャガーという会社の生き方そのものを大きく変えた、運命の一台なんです。

それまでジャガーには、大きな高級車と小ぶりなサルーンなど、性格の異なる車がいくつも並行して存在していました。

いわば、似たようなメニューがずらりと並ぶ定食屋さんのようなものだったんですね。

そこに終止符を打ち、たったひとつの車ですべてのニーズに応えようとしたのが、このXJでした。

しかもただの高級車ではなく、スポーツカーのような走りの楽しさまで併せ持たせようという、かなり欲張りな挑戦だったのです。

このXJを作り上げたのは、ジャガー創業者であるサー・ウィリアム・ライオンズその人です。

彼が自ら深く関わった最後のモデルとして、今も多くのファンから特別な存在として語り継がれています。

さらに1972年には、量産サルーンとして世界で初めてとなる12気筒エンジンを積んだXJ12も登場し、話題をさらいました。

優雅な見た目の奥に、まるで別の車かと思うほどの怪力を隠し持っていたこのモデルは、まさに羊の皮を被った狼と呼ぶにふさわしい存在でした。

今回は、そんな初代XJの誕生秘話から、隠れた実力派だったXJ12のこと、そしてなぜこの車が当時「世界最高のサルーン」とまで評されたのかを、じっくりとひも解いていきたいと思います。

読み終わる頃には、きっとあなたもこの気品あふれる英国紳士に、少し会いたくなっているはずです。

ウィリアム・ライオンズ卿、最後の傑作

ジャガーというブランドを一代で築き上げた男、それがサー・ウィリアム・ライオンズです。

サイドカーの製造から身を起こし、独学でデザインを学びながら、やがてイギリスを代表する高級車メーカーへとジャガーを育て上げました。

そんな彼が晩年に手がけた集大成、それが1968年に登場したXJだったのです。

1960年代半ばのジャガーは、少し複雑な状況にありました。

大型の高級サルーンであるマークXが420Gへと発展し、さらに小型サルーンのSタイプ、その中間を埋める420という車まで存在していたのです。

まるで似たようなラーメン屋が3軒並んでいるような状態で、どの車を選べばいいのか、お客さんも迷ってしまいますよね。

しかもこれらのモデルは、すでに設計が古くなりつつありました。

ライオンズ卿はここで大きな決断をします。

これら複数のモデルを、たったひとつの車に統合してしまおうというのです。

しかも目指したのは、単なる高級車ではありませんでした。

当時のジャガーの看板スポーツカーだったEタイプ、あの流麗なフォルムで一世を風靡した名車の走りを、4ドアのセダンで実現しようという、なんとも大胆な発想だったのです。

高級感と俊敏さ、この両立は簡単なことではありません。

たとえるなら、フォーマルなスーツを着ながら全力疾走できる服を作るようなものです。

けれどライオンズ卿は、製図の訓練すら受けていない独学のデザイナーでありながら、フルスケールの粘土模型を自らの手で削り出しながら、理想のプロポーションを追い求めました。

「美しい車は必ず売れる」というのが、彼の信念だったそうです。

そうして完成したXJ6は、1968年のパリモーターショーで大きなセンセーションを巻き起こしました。

低く伸びやかなボンネット、優雅に流れるルーフライン、そのどれもが、それまでのジャガーサルーンとは一線を画すものでした。

後年、ジャガーのデザインディレクターを務めることになるイアン・カラム氏も、若かりし頃にこのXJ6のデビューを目撃し、そのプロポーションの美しさに強く心を打たれたと語っています。

複数車種を1台に統合するという賭けは、見事に成功しました。

発売後は注文が生産に追いつかないほどの人気となり、この成功が、その後半世紀にわたって続くXJというブランドの礎を築いたのです。

そして忘れてはならないのが、これがライオンズ卿にとって、自ら深く開発に関わった最後のジャガーになったという事実です。

1972年に彼が経営の第一線を退いたこともあり、まさに一人の天才デザイナーが、自らの美意識のすべてを注ぎ込んだ、最後で最高の贈り物だったといえるでしょう。

「羊の皮を被った狼」V12搭載のXJ12

優雅な見た目からは想像もつかない、とんでもないパワーを秘めた車がある。

そう聞くと、多くの人はスーパーカーを思い浮かべるかもしれません。

でも実は、1972年に登場したXJ12こそ、その代表格ともいえる存在でした。

このV12エンジンの物語は、実は1950年代にまで遡ります。

もともとはル・マン24時間レースへの参戦を目指した、レーシングカー「XJ13」のために開発されたエンジンだったのです。

しかし経営体制の変化などが重なり、レース参戦の計画は中止に。

倉庫で眠っていたこのV12エンジンは、まず1971年にスポーツカーのEタイプへ搭載され、そして翌1972年、ついにこのXJへと積み込まれることになったのです。

量産される4ドアサルーンとしては、世界で初めてとなる12気筒エンジンの搭載でした。

排気量は5.3リッター、最高出力は約253馬力を発揮し、当時としては驚異的な静粛性とスムーズさを実現していました。

同じV12でも、フェラーリやランボルギーニといったイタリアの名門が採用していたのはDOHC、つまりより高回転型の設計です。

一方でXJ12が採用したのはSOHCという、より穏やかな味付けのものでした。

たとえるなら、イタリア勢が全力疾走を得意とする短距離ランナーだとすれば、XJ12は涼しい顔でスタミナ走行をこなす長距離ランナーのような存在だったのです。

パワーの数値だけを比べれば控えめに見えるかもしれません。

けれど、なめらかに吹け上がるエンジンフィールと、まるで絹のような静粛性においては、イタリアンV12をはるかに上回るとまで言われました。

サルーン用のV12エンジンとしては、当時最高峰の完成度だったのです。

3速オートマチックを介して発揮される走行性能も見事なものでした。

最高速度は約225km/h、0から100km/hまでの加速は8秒台半ばという、当時の高級サルーンとしては驚くべき数字を叩き出していたのです。

大きく重厚な車体を、まるでスポーツカーのように加速させてしまう。

その様子はまさに、静かにたたずむ紳士が、実はとてつもない身体能力を隠し持っているかのようでした。

見た目の優雅さに油断していると、思わぬ俊足に驚かされてしまう。

これこそが、XJ12が「羊の皮を被った狼」と呼ばれる所以なのです。

「Eタイプを4ドアに」―スポーツサルーンという新発想

高級車と聞くと、多くの人は「ゆったりと快適」というイメージを思い浮かべるのではないでしょうか。

もちろんそれも間違いではありません。

ただXJが目指したのは、その快適性に加えて、ハンドリングの楽しさまで両立させるという、当時としてはかなり珍しい方向性でした。

その鍵を握っていたのが、独立懸架式のサスペンションです。

前輪だけでなく後輪にも、それぞれのタイヤが独立して路面に追従できる仕組みを採用することで、大きな車体でありながら、しなやかで正確なハンドリングを実現していました。

イメージとしては、4本の足がそれぞれ自分の判断で地面をとらえる動物のような走り方といえばわかりやすいでしょうか。

硬い板のように車体全体が一緒くたに動くのではなく、路面の凹凸をひとつひとつ丁寧にいなしていく、そんな乗り心地だったのです。

当時のライバルとして名前が挙がっていたのが、ドイツの雄であるメルセデス・ベンツでした。

メルセデスの高級サルーンが重厚で剛健な乗り味を持ち味としていたのに対し、XJはより軽やかで機敏な走りを身上としていました。

たとえるなら、メルセデスが重量級の格闘家だとすれば、XJはしなやかな身のこなしを見せるアスリートのような存在だったのです。

この個性が高く評価され、XJは1970年代を通じて「世界最高のサルーン」とまで評されるようになりました。

静粛性、乗り心地、そして走りの楽しさ、この3つを高い次元で両立させた車は、当時なかなか他に見当たらなかったのです。

しかもこの走行性能は、決して犠牲の上に成り立っていたわけではありませんでした。

内装にはウォールナットの木目パネルと上質な革がふんだんに使われ、見た目にも触れる感触にも、一切の妥協がなかったのです。

優雅な応接間のようなくつろぎの空間でありながら、ワインディングロードに差し掛かればスポーツカーのような表情を見せる。

この二面性こそが、ライオンズ卿が思い描いた「Eタイプのようなセダン」という理想の、まさに具現化された姿だったといえるでしょう。

見た目の美しさだけでなく、走りの本質にまでこだわり抜いたその姿勢が、半世紀以上にわたってXJというブランドを支え続けてきた原動力なのです。

まとめ

ここまで、初代ジャガーXJの誕生秘話から、隠れた実力者だったXJ12、そしてスポーツサルーンという新しい概念まで、じっくりとご紹介してきました。

複数の車種をひとつに統合するという大胆な決断から始まり、ウィリアム・ライオンズ卿が自らの美意識のすべてを注ぎ込んで作り上げた、まさに集大成といえる一台でした。

優雅な佇まいの奥に、世界初の量産V12エンジンという強心臓を隠し持っていたXJ12のエピソードには、思わずニヤリとしてしまった方も多いのではないでしょうか。

そして何より、高級感と走りの楽しさという、一見相反するふたつの要素を高い次元で両立させたその技術力こそが、この車を「世界最高のサルーン」たらしめた本質だったのです。

半世紀以上にわたって8つの世代を重ねてきたXJという長い物語も、そのすべての始まりは、このシリーズ1にありました。

もし街中でクラシックなジャガーを見かけることがあれば、その優雅な曲線の奥に、実は野心的な挑戦の歴史が詰まっていることを、ぜひ思い出してみてください。

きっとその一台が、これまでとは少し違って見えてくるはずです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。