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アヴィオン・ヴォアザン C28 エアロスポーツ:空を夢見た男が地上に残した奇跡の車

ヴォワザンC27 エアロスポーツ 壮観なアールデコ・スタイル 1台限りのクーペ 前編 | ニコニコニュース

ヴォアザン C28 エアロスポーツ 諸元データ

・販売時期:1935〜1936年
・全長×全幅×全高:4,725mm × 1,600mm × 1,450mm
・ホイールベース:3,000mm
・車両重量:1,150kg
・ボディタイプ:2ドア クーペ(ポンツーン型アルミニウムボディ)
・駆動方式:後輪駆動(FR)
・エンジン型式:スリーブバルブ式 直列6気筒(ナイトパテント型)
・排気量:3,315cc
・最高出力:102ps(75kW)/ 3,800rpm
・最大トルク:非公表
・トランスミッション:コタル式プリセレクター4速マニュアル(電磁式)
・サスペンション:前:固定フロントアクスル、半楕円リーフスプリング、コックピット調整式ダンパー / 後:リジッドアクスル、半楕円リーフスプリング
・ブレーキ:前後油圧ドラム(ロックヒード式)
・タイヤサイズ:記録なし
・最高速度:約150km/h(クルージング速度)
・燃料タンク:記録なし
・燃費:記録なし(戦前車のため)
・価格:92,000フラン(1936年当時)
・特徴:・航空機設計由来のアルミニウムボディと、フェンダーをボディと一体化させた革新的なポンツーン型スタイルを採用
    ・スリーブバルブエンジンによる当時最高水準の静粛性
    ・世界現存わずか2台、内装はエルメス・パリが手がけた最高級仕様

 

自動車の歴史を振り返ると、時代を超えて語り継がれる名車というものがあります。
走行性能が突出していたわけでもなく、販売台数が多かったわけでもない。
それなのに、一度目にした人間の心に深く刻み込まれてしまう、そういう車のことです。

今回ご紹介するヴォアザン C28 エアロスポーツは、まさにそういった一台です。
1935年にフランスで生まれたこのクーペは、世界に現存するのがわずか2台と言われており、その姿を実際に目にできる機会は極めて限られています。
しかしながら、自動車デザインの歴史を語る上では避けては通れない、非常に重要な存在なのです。

この車を生み出したのは、ガブリエル・ヴォアザンという人物です。
彼はもともと航空機のパイオニアとして名を馳せた人物で、第一次世界大戦では爆撃機を大量生産した実績を持っています。
戦後に自動車製造へと転身した彼は、「飛行機設計の哲学」をそのまま四輪に持ち込みました。
軽さへの執念、空力の追求、静粛性へのこだわり。
それらがひとつの完成形として結晶したのが、このC28 エアロスポーツだったわけです。

ボディは全てアルミニウム製で、前後フェンダーをボディと一体化させた「ポンツーン型」と呼ばれる革新的なスタイルを採用しています。
これは今日の自動車デザインでは当たり前の手法ですが、1935年当時にはほとんど誰もやっていなかった先進的な発想でした。
まるで現代の車がタイムスリップしてきたかのような、不思議な既視感を覚えるデザインです。

エンジンはスリーブバルブ式という特殊な機構を持つ直列6気筒で、排気量は3.3リッター、最高出力は102馬力。
大恐慌の時代、経済的な制約の中でヴォアザンが選んだのは「馬力より空力」という道でした。
その結果として生まれたのが、時速150キロに達する高い巡航性能と、当時としては驚異的な静粛性でした。

この記事では、そんなC28 エアロスポーツの魅力を3つの角度から掘り下げていきます。
航空機メーカーとしての原点と設計哲学、唯一無二のデザインが生まれた背景、そして現存わずか2台という希少性にまつわる波乱のエピソード。
少し立ち止まって、90年前のフランスが生み出した「走る哲学書」に思いを馳せてみましょう。

空を飛んだ男が、地上で夢を描いた——ガブリエル・ヴォアザンの哲学

ガブリエル・ヴォアザンは1880年、フランス東部のベルヴィル=シュル=ソーヌに生まれました。
幼い頃から創造することへの強い欲求を持っていた彼は、リヨン美術学校で建築を学び、その後パリの建築事務所で働きます。
しかしやがて、彼の興味は空へと向かっていきます。

当時、飛行機という乗り物はまだ存在していませんでした。
それでもヴォアザンは1905年に手製のグライダーを作り、ボートに引かせて浮上させることに成功します。
グライダーはおよそ150メートルほど飛んだところで水面に落下し、彼自身も溺れかけました。
それでも懲りず、翌1906年に弟のシャルルとともに航空機製造会社「レ・フレール・ヴォアザン」を設立。
これがヨーロッパ初の商業的な航空機メーカーとなりました。

ヴォアザン兄弟の飛行機は、1908年にアンリ・ファルマンが閉回路1キロ飛行に成功し、5万フランの賞金を獲得したことで一躍有名になります。
第一次世界大戦では、ヴォアザン製の爆撃機が何千機も量産され、フランス陸軍の主力機として活躍しました。
ガブリエルは航空機デザイナーとして、ヨーロッパ最高峰の地位を確立したのです。

しかし1912年、弟のシャルルが自動車事故で亡くなります。
この出来事はガブリエルに深い傷を残し、以後の彼の設計思想に大きな影響を与えることになります。
「乗客の安全を絶対に守る」という強い信念が、ヴォアザン車の設計哲学の根幹に据えられていったのです。

そして第一次世界大戦が終わると、軍からの航空機発注は一気に途絶えます。
ガブリエルは新しい道を模索し、1919年に自動車製造へと転身します。
会社名は「アヴィオン・ヴォアザン」、直訳すれば「飛行機のヴォアザン」です。
航空機メーカーが自動車を作る、という姿勢を最初から隠す気など、全くなかったわけです。

彼が自動車に持ち込んだのは、飛行機で培った「軽量化」「空力設計」「静粛性」という3つの哲学でした。
スリーブバルブエンジンと呼ばれる特殊なエンジンを採用したのも、その表れのひとつです。
このエンジンは、ピストンとシリンダーの間に薄い金属の筒(スリーブ)を挟み込んで吸排気を行う仕組みで、普通のエンジンのように「バルブ」と呼ばれる小さな弁が激しく動く必要がありません。
結果として、エンジン音が驚くほど静かになります。

飛行機のコックピットのように、計器類が整然と並んだ車内。
航空機の胴体設計から得たアルミニウムへの深い理解。
そして「美しさと機能性は両立できる」というゆるぎない信念。
ガブリエル・ヴォアザンというひとりの天才が積み上げてきた全てが、C28 エアロスポーツという一台に凝縮されています。

1935年に30年先の未来を描いた——時代を超えたデザインの秘密

C28 エアロスポーツが1935年のパリ・オートサロンに登場したとき、会場を訪れた人々はその姿に言葉を失ったといいます。
当時の自動車は、フェンダー(タイヤを覆う曲線状のカバー)がボディの両側に取り付けられた「別部品」として扱われるのが一般的でした。
いわば、本体に後からパーツを貼り付けたような見た目です。

しかしC28 エアロスポーツは違いました。
前後のフェンダーがボディと完全に一体化し、車全体がひとつの流れるような曲線で構成されていたのです。
この手法は「ポンツーン型ボディ」と呼ばれ、今日では全ての量産車に採用されている標準的なスタイルです。
つまり、現代の車のデザインの「原型」とも言える考え方を、ガブリエル・ヴォアザンは1935年の時点で既に実現していたのです。

ファストバックと呼ばれる、後方に向かってなだらかに傾斜していくルーフラインも、当時としては極めて先進的でした。
後部のホイールは半分ほどカバーで覆われており、空気抵抗を減らす工夫が随所に施されています。
ヘッドライトはボンネットとフェンダーの境目に埋め込まれ、ボディの面から飛び出すことなく収まっています。
3本のワイパー、格子状のバンパー、真空駆動でスライドするサンルーフ。
細部に至るまで、徹底的に機能と美しさが追求されています。

ガブリエル・ヴォアザン自身は、C28 エアロスポーツを「私が設計した最初の『線の車』だ」と語っています。
装飾のための装飾を排し、全ての形がある理由を持っている。
それがヴォアザンの言う「合理的な美しさ」でした。

内装もまた特別でした。
シートやダッシュボードを手がけたのは、あのエルメスです。
天然の植物性なめしレザーが使われた室内は、まるで高級工房の作品のような仕上がりになっています。
乗り込んだ瞬間、それが自動車なのか芸術作品なのか分からなくなる、というのも大げさではないかもしれません。

このデザインが後世に与えた影響は計り知れません。
戦後の多くのヨーロッパ車がこのポンツーン型ボディを採用していきましたし、現代の自動車デザイナーたちも、C28 エアロスポーツを「時代を30年先取りした傑作」と評しています。
ペブルビーチ・コンクール・デレガンスという、世界最高峰のクラシックカーの美しさを競う催しでも、2006年にクラス優勝を獲得しています。

ただ、忘れてはならないのは、このデザインが「大恐慌の時代」に生まれたという事実です。
世界中が経済的に疲弊し、ヴォアザン社自身も経営が苦しくなっていた時期に、ガブリエルはあえて妥協しませんでした。
「お金がなくなれば、知恵と美しさで勝負する」。
その反骨精神が、C28 エアロスポーツというあり得ないほど美しい車を生み出したのです。

世界にたった2台——奇跡の生還と映画になった伝説

「それは1936年式のアヴィオン・ヴォアザンだ。スリーブバルブ式6気筒エンジン、これが6台しか作られていないのを知ってるか」

2005年公開のハリウッド映画『サハラ』の中で、マシュー・マコノヒー演じる主人公ダーク・ピットが独裁者から盗んだ謎の旧車を見てつぶやくセリフです。
ヴォアザンのC-28に関する台詞がハリウッド映画の中に登場した、というだけで、この車の特別な存在感が伝わってくるのではないでしょうか。

実は映画で使われたのは本物ではなく、フランスのヴォアザン専門レストアラーであるD・テシエ工房が制作したFRP製のレプリカです。
俳優の表情が映りやすいようにルーフを取り外し、4輪駆動シャシーにジャガーのエンジンを搭載するという大改造が施されていました。
とはいえ、ナンバープレートに「GV」の文字が刻まれるという遊び心も忘れず、これはもちろんガブリエル・ヴォアザンへのオマージュです。
このレプリカは2008年のオークションで約23,400ドルで落札されており、今も映画史の遺産として語り継がれています。

さて、本物のC28 エアロスポーツはどうなっているのでしょうか。

現存するのは世界でわずか2台とされています。
そのうちの1台、シャシー番号53034は、1935年のパリ・オートサロンで実際に展示されたプロトタイプそのものです。
このシャシーは第二次世界大戦中に爆撃で大きなダメージを受け、当時のオーナーはやむなく4ドアセダンのボディを架装して使い続けました。
本来の美しいクーペボディを失ったまま、このシャシーは長い年月を過ごしました。

1998年になってこの車の重要性に気づいたコレクターが入手し、2006年から8年間をかけて完全なレストアを実施します。
工場の設計図をもとに、当時の部品を他のヴォアザン・コレクターから調達しながら、オリジナル仕様を忠実に再現していきました。
内装はエルメス・パリが天然皮革を用いて手がけ、シルバーグレーのボディと相まって息をのむような仕上がりになりました。
2015年にはシャンティイ・コンクール・デレガンスで華麗な復活を遂げ、改めて世界の自動車愛好家たちを驚かせました。

もう1台については、かつてフランスの実業家アントワーヌ・ムニエ(あのムニエ・チョコレートの一族)が所有していたことが記録されており、2005年にアメリカに渡ったことが確認されています。

C28 エアロスポーツは生産台数が最大でも10台以下と言われており、1930年代の経済的混乱の中でヴォアザン社が倒産寸前に陥ったこともあって、多くの個体が失われてしまいました。
現存する2台は、まさに奇跡的に時代を生き延びた存在です。
今この瞬間も、90年前のフランスの美意識と革新精神を宿したまま、ひっそりとどこかに存在しているのです。

まとめ

ヴォアザン C28 エアロスポーツというのは、本当に不思議な車です。
102馬力という当時としても控えめな出力、わずか10台以下しか作られなかったという希少性、そして大恐慌という最悪のタイミングで生まれたという皮肉な運命。
条件だけを並べれば、誰にも知られずに消えていても不思議ではない一台です。

それでも今日、この車は世界中の自動車愛好家から特別な目で見られています。
ガブリエル・ヴォアザンというひとりの航空機パイオニアが、飛行機づくりで磨き上げた哲学を全力でぶつけた、一種の「ラストメッセージ」だからでしょう。
C28 エアロスポーツはガブリエル自身が手がけた最後の車であり、彼の美意識と技術思想の結晶です。

ポンツーン型ボディという現代の自動車デザインの原点、スリーブバルブエンジンによる驚くべき静粛性、そしてエルメスが手がけた贅沢な室内。
どれひとつをとっても、1935年という時代を大幅に超えています。
「時代を30年先取りした」と言われるのも、決して大げさではありません。

現存する2台のうちの1台は、第二次世界大戦の爆撃で傷つきながらも、8年間の歳月をかけたレストアによって蘇りました。
その姿を見ていると、いい車というものは時代を超えて生き延びるものだな、とつくづく感じます。
逆境に打ち克ってでも残るべき価値というのが、確かにあるのです。

自動車を語るとき、私たちはつい数字や性能に目を向けてしまいます。
何馬力か、0-100キロが何秒か、燃費はどれだけか。
でも、C28 エアロスポーツはそういう土俵では勝負していません。
「どう走るか」ではなく「何を考えながら走るか」を問いかけてくるような車です。

90年の時を経てなお、世界にたった2台しか残っていないこの車が、いまも人々を引きつけてやまないのは、きっとそういう理由からだと思います。
一度でもこの車の写真を目にしたら、ぜひその背後にある物語も思い出してみてください。
ガブリエル・ヴォアザンという、空と車を愛した男の夢が、そこに詰まっています。