ホルヒ850 諸元データ
・販売時期:1935年~1937年
・全長×全幅×全高:約5,300mm × 約1,860mm × 約1,750mm
・ホイールベース:3,450mm
・車両重量:約2,400kg
・ボディタイプ:4ドアサルーン、カブリオレなど(コーチビルダーにより複数)
・駆動方式:FR(フロントエンジン・リアドライブ)
・エンジン型式:直列8気筒SOHC
・排気量:4,944cc
・最高出力:100ps(74kW)/3,400rpm
・最大トルク:約23.5kgm(230Nm)/2,000rpm
・トランスミッション:4速マニュアル(ZF Aphon製)
・サスペンション:前:ダブルウィッシュボーン独立懸架 / 後:ド・ディオン式
・ブレーキ:4輪機械式ドラム
・タイヤサイズ:7.00-17
・最高速度:約130km/h
・燃料タンク:約110L
・燃費:約4~5km/L(実用値)
・価格:当時のドイツで13,500~16,000ライヒスマルク前後
・特徴:・直列8気筒5リッターエンジンを搭載した戦前ドイツ最高級車
・ド・ディオン式リアサスペンションによる優れた乗り心地
・コーチビルダーによる多彩なボディバリエーション
アウディのエンブレムをご存じですか?
アウディのフロントに輝く4つのリングをみなさん一度はご覧になったことがあると思います。
あの4つのリングには、それぞれちゃんと意味がありまして、1932年にドイツの4つの自動車メーカーが合併して「アウトウニオン」という会社が誕生した、その歴史を表しています。
合併したのはホルヒ、アウディ、DKW、ヴァンダラーの4社。
その中でも、かつて最高級ブランドとして君臨していたのが、今回ご紹介する「ホルヒ」というメーカーです。
おそらく多くの方には、あまり馴染みのない名前かもしれません。
でも実は、このホルヒというメーカー、現代を代表するドイツの名門ブランド「アウディ」の直接のルーツになっている、歴史的にものすごく重要なメーカーなのです。
時代は1930年代のドイツ。
ナチスが台頭し、ヨーロッパ全体が激動に揺れていたその時代に、ホルヒ850は生まれました。
当時のドイツでメルセデス・ベンツと並ぶ最高級車ブランドとして知られたホルヒが、その威信をかけて送り出した傑作が、この850です。
全長5メートルを超える堂々とした車体に、なめらかに回る直列8気筒エンジン。
コーチビルダーと呼ばれる職人たちが手作りで仕上げた豪華な内装。
当時のドイツ富裕層や政府高官たちが憧れ、実際に乗り込んだ「時代の象徴」ともいえる一台です。
ちょうど現代でいえば、ロールス・ロイスやベントレーに乗るような感覚でしょうか。
「あの人はホルヒで来た」という事実だけで、その人の地位や財力が一目瞭然だったわけです。
この記事では、そんなホルヒ850の魅力を3つの切り口から掘り下げてご紹介していきます。
創業者の波乱に満ちた人生と、それでも受け継がれた職人魂のストーリー。
当時の最先端技術だった直列8気筒エンジンが生み出した、絹のような乗り心地の秘密。
そして、激動の時代に翻弄され、戦争とともに消えていったホルヒブランドの数奇な運命。
自動車の歴史をこれほどドラマチックに体現した車は、そうそうないと思います。 ぜひ最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
創業者を追い出した会社が作り上げた「魂の一台」
ホルヒ850を語る上で、まず知っておいていただきたいのが、このブランドを作ったアウグスト・ホルヒという人物のことです。
アウグスト・ホルヒは1868年、ドイツのラインラント地方に生まれました。
若い頃からエンジニアとしての才能に恵まれ、あのカール・ベンツの自動車工場で腕を磨いた後、1899年に独立して自らの名前を冠した自動車会社「ホルヒ社」を設立します。
話を戻しますと、アウグスト・ホルヒはホルヒ社の経営方針をめぐって取締役会と対立し、1909年に自分が作った会社を追われることになります。
会社を追い出された人間が、会社名さえ使えなくなり、それでも自分の夢に向かって新しいブランドを立ち上げます。
ホルヒ(Horch)というドイツ語は、英語でいうと「Listen(聞け)」という意味です。
アウグストが会社を追われた後、新しく立ち上げた会社で同じ意味のラテン語を使いました。
それが「Audi(アウディ)」なのです。
つまりホルヒとアウディは、文字通り「同じ意味の言葉を持つ兄弟」のような存在なのです。
その後、創業者を失ったホルヒ社は超高級車メーカーとして生まれ変わり、1932年にはアウディ、DKW、ヴァンダラーと合流して「アウトウニオン(Auto Union)」を結成します。
現代のアウディの四つのリングのロゴは、この4ブランドの合流を象徴しているのです。
そのアウトウニオンの中でホルヒブランドが担ったのは、最上位の超高級車という役割でした。
1935年に登場したホルヒ850は、まさにその「最高峰」を体現した一台です。
アウグスト・ホルヒがいなくなっても、彼が築いた「最高のものを作る」という哲学は、会社の中に脈々と受け継がれていたのです。
そして850のボディは、ホルヒ社自身が製造したわけではありませんでした。
「コーチビルダー」と呼ばれる専門の職人工房、なかでもドレスデンのグレザー社が、顧客の要望に合わせて一台一台手作りで仕上げていました。
コーチビルダーとは、現代でいえばオーダーメイドのスーツを仕立てる高級テーラーのようなものです。
採寸から縫製まで全て手作業で、世界に一着しかないスーツを作るように、ホルヒ850も一台一台が異なる表情を持つ、いわば「一点もの」のクルマだったのです。
こうした職人の手仕事によって生まれた高品質な仕上がりが、ホルヒ850を単なる「高級車」ではなく「工芸品」の領域にまで引き上げた理由だといえます。
創業者が去った後も、その魂だけは残り続けた。
ホルヒ850はそんな、ちょっと切なくもあり、誇り高くもある一台なのです。
5リッター直列8気筒が奏でる「絹の走り」
ホルヒ850の心臓部は、排気量4,944cc(約5リットル)の直列8気筒エンジンです。
簡単に言えば、エンジン内部のシリンダー(爆発が起きる部屋)が8つ、一列に並んでいる構造のことです。
シリンダーが増えれば増えるほど爆発のタイミングがきめ細かく分散され、エンジンの回転がなめらかになります。
現代の高級車でも使われる「V型12気筒」というエンジンがありますが、直列8気筒はそれに匹敵するほどの滑らかさを持ちながら、整備のしやすさという長所もあります。
ホルヒ850のエンジンが生み出す最高出力は100馬力(後期型では120馬力)。
現代の軽自動車でも64馬力ほどですから、数字だけ見ると大したことないように感じるかもしれません。
ただ、1930年代の自動車としてこれは相当なパワーであり、車重が2.4トンほどある巨大なボディを130km/h超で走らせることができました。
もっとも重要なのは「パワー」よりも「回り方の質感」でした。
直列8気筒は低回転域からトルク(回転力)が豊かで、アクセルを少し踏むだけでゆったりと、しかし確実に前へと進んでいきます。
まるで大きな船がゆっくりと港を出ていくような、どっしりとした安心感のある走りです。
そしてもう一つ、乗り心地の良さを支えたのが「ド・ディオン式」と呼ばれるリアサスペンションです。
サスペンションとは、路面の凸凹を吸収してくれる緩衝装置のことで、これが優秀かどうかで乗り心地が大きく変わります。
ド・ディオン式は当時としては非常に先進的な設計で、車輪の動きをより細かくコントロールできる仕組みでした。
日本でいえば、昔ながらの「板バネ」の乗り合いバスと、現代の高級タクシーの乗り心地の差のようなもの、といえばイメージしやすいでしょうか。
さらに車内は、上質な革のシートと磨かれた木製のインテリア。
同乗者にとっては、まるで一流ホテルの応接間がそのまま動いているような空間でした。
こうした技術とデザインの融合が、ホルヒ850を「走る芸術品」と呼ばれる所以です。
エンジン音は大きくも荒くもなく、深く低いハミングが車内に静かに響く程度。
速く走るためではなく、豊かに、快適に移動するために磨き上げられた、本物の高級車の姿がここにあります。
ナチス政権と戦争が消し去った「栄光のブランド」
ホルヒ850が生まれた1935年という年は、ドイツにとって非常に複雑な時代の始まりでした。 ヒトラー率いるナチス政権が権力を握り、国家全体が急速にきな臭い方向へと向かっていた時期です。
その時代において、ホルヒはメルセデス・ベンツと並ぶドイツ最高級車として、ナチス政権の高官たちに重用されていきました。
ヒトラーをはじめ多くの上級幹部はパレードや公式行事でメルセデスを好んで使っていましたが、一人だけ例外がいました。
国家元帥まで上り詰めたヘルマン・ゲーリングです。
大のメルセデス嫌いとして知られていた彼は、公式パレードでも白いホルヒに乗り込んでいたことが記録に残っています。
権力の頂点にいる人間が、みんなと違う選択をする。
ゲーリングにとってホルヒは、単なる移動手段を超えた「個性のアピール」でもあったのかもしれません。
しかし、そんな栄光の時代も長くは続きませんでした。
ドイツが第二次世界大戦へと突入すると、自動車メーカーの生産リソースはことごとく軍需へと転換されていきます。
ホルヒの工場もその例外ではなく、ホルヒ850をベースにした軍用車が製造される一方、民間向けの高級乗用車の生産は1940年にひっそりと終わりを告げました。
そして戦争が終わると、ホルヒブランドを取り巻く状況はさらに過酷なものになります。
ホルヒの工場が置かれていたツヴィッカウは、戦後ソビエト連邦の占領地となり、やがて東ドイツの一部となります。
社会主義体制の下では、かつての豪華な高級車を作るためのコーチビルダーたちも活動の場を失い、アウトウニオンという企業グループ自体が解体されていきました。
西側に逃れた経営陣たちは、その後新しくアウトウニオンを再建します。
しかしホルヒというブランドだけは、二度と復活することなく歴史の幕を閉じてしまいました。
戦後のヨーロッパで超高級車を求める層は激減し、また、ナチス政権の公用車として使われたというイメージも、ブランドの復活を難しくしたとされています。
2021年、アウディは中国市場向けのフラッグシップモデルに「ホルヒ」の名を復活させました。
アウディA8のトップグレードとして80年以上ぶりに蘇ったその名前は、失われたブランドへの敬意と、歴史の重みを感じさせます。
ホルヒ850は、時代に翻弄され消えていった。
でもその魂は、アウディという名前の中に今も静かに息づいているのです。
まとめ
ホルヒ850という車を通して、私たちは自動車の歴史の中に潜む、いくつもの「人間のドラマ」を見てきました。
創業者が追い出されながらも受け継がれた職人の誇り。
当時の最先端技術が生み出した、絹のように滑らかな乗り心地。
そして激動の時代と戦争の波に飲み込まれ、消えていったブランドの数奇な運命。
これほど多くの物語を一台の車が抱えているというのは、なかなかすごいことだと思いませんでしょうか?
ホルヒ850が現役だったのは、1935年から1940年までのわずか5年ほど。
しかし現存するホルヒ853スポーツカブリオレは、今でも世界各地のオークションに登場するたびに数千万円から億を超える値がつくほど、コレクターから熱狂的に支持されています。
それだけの価値が認められているのは、単に「古くて珍しいから」ではなく、その一台一台が職人の手仕事と時代の歴史を体に刻んでいるからではないでしょうか。
ちなみに現代のアウディが誇る四つのリングのロゴは、ホルヒを含む4つのブランドが合流したアウトウニオンの象徴です。
つまり、今あなたが街で見かけるアウディの中にも、ホルヒの血が確かに流れていることになります。
「あのロゴにはそんな歴史があったのか」と気づくと、街中の風景が少し違って見えてくるかもしれませんね。
自動車の歴史は、技術の歴史であると同時に、人間たちの情熱と時代の流れが絡み合った、壮大な物語でもあります。
ホルヒ850は、その物語の中でも特に忘れがたい一ページを刻んだ、まさに「時代の証人」ともいえる存在です。
戦前ドイツの輝きと翳りを全身で体現したこの美しい高級車に、みなさんもぜひ思いを馳せてみてください。