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A.L.F.A・24HP:アルファロメオの物語を始めた4.1リッター

A.L.F.A 24HP - Italy Travel and LifeA.L.F.A・24HP(標準トルペード仕様)諸元データ

・販売時期:1910年〜1914年
・全長×全幅×全高:4250mm × 1550mm × 1700mm
ホイールベース:3200mm
・車両重量:1000kg
・ボディタイプ:トルペード(オープン4座)、リムジン ほか
・駆動方式:FR(フロントエンジン・後輪駆動)
・エンジン型式:形式名なし(直列4気筒サイドバルブ)
・排気量:4084cc
・最高出力:42ps(31kW)/ 2200rpm
・最大トルク:不明
トランスミッション:4速MT
・サスペンション:前:リジッドアクスル+半楕円リーフスプリング / 後:リジッドアクスル+半楕円リーフスプリング
・ブレーキ:後輪機械式ドラム(フロントブレーキなし)
・タイヤサイズ:不明
・最高速度:約100km/h
・燃料タンク:不明
・燃費(JC08モード):設定なし(当時の欧州車のため)
・価格:シャシー価格 約12,000リラ(当時)
・特徴:
 ・A.L.F.Aとして初めて量産されたモデル
 ・4.1リッター直列4気筒エンジンと4速ギアボックスで、当時としては高速巡航が可能
 ・タルガ・フローリオ参戦車やイタリア王国軍の公用車としても使われ、ブランドの名を広めた

 

アルファロメオの最初のクルマは?」と聞かれた時、上がる代表的なクルマがA.L.F.A・24HPです。まだブランド名が“アルファロメオ”ではなく、A.L.F.A(Anonima Lombarda Fabbrica Automobili)と名乗っていた1910年、ミラノ・ポルテッロの工場から送り出された第一号車がこの24HPでした。

数字だけ見ると、4.1リッター直列4気筒、最高出力42馬力、最高速度約100km/hというスペックは、現代の目で見ると控えめに映ります。ただ、1910年前後の道路事情や他メーカーの性能を考えると、これはかなりの俊足サルーンでした。今でいえば、郊外のバイパスをストレスなく流せる「いい感じの2リッターターボ」ぐらいのイメージに近い存在だったと考えると、少し身近に感じられると思います。

車名の「24HP」は、いわゆるカタログ馬力ではなく、当時の税制に基づく課税馬力の値から取られています。税金の区分をそのまま商品名にしてしまうというのは、ある意味で実務的ですが、結果としてこの数字が“ブランドの最初の記号”になってしまったのです。数字の並び自体はそっけないのに、歴史が積み重なることで不思議な味わいが出てくるところが面白い点です。

今回の記事では、そんなA.L.F.A・24HPについて、三つの視点から掘り下げていきます。ひとつめは、フランス車ダラックから始まった紆余曲折の創業ストーリー。ふたつめは、4.1リッター直4とシャシー構造に見る「アルファらしいメカニズム」。そして三つめは、タルガ・フローリオへの挑戦と軍用車としての採用が、ブランドイメージにどんな“最初の色”を塗ったのかという視点です。

100年以上前のクルマですが、その思想や背景には、現代のアルファロメオに通じる要素が驚くほど詰まっています。博物館に並ぶ古いトルペードボディの一台を眺めながら、「ここからすべてが始まったのか」と想像していただけるような内容を目指して、じっくり見ていきたいと思います。

 

A.L.F.A誕生前夜と24HPが生まれるまで

A.L.F.Aの物語は、フランス車ダラックのイタリア現地法人から始まります。1906年に設立された「Società Italiana Automobili Darracq」(SIAD)は、ミラノ郊外ポルテッロでダラック車を組み立てていましたが、小排気量車を中心としたラインアップはイタリア市場にはなかなか受け入れられず、販売不振に陥っていきました。経営側にいたのがウーゴ・ステラで、彼はこの行き詰まりを打破するために、「イタリアの道路とユーザーのためのクルマ」を一から設計し直そうと考えます。

そこで1909年、ステラが技術責任者として招いたのがジュゼッペ・メロージです。メロージは、ライセンス生産のダラックではなく、まったく新しい自社設計車を提案しました。これが後の24HPになるモデルで、彼はまだ社名がA.L.F.Aに変わる前から図面を引き始めていたとされています。フランス製の小型車では登り坂がきついイタリアの丘陵地帯や、長距離を一気に走り抜けたい富裕層のニーズを意識し、大排気量・耐久性重視の設計を選んだのがポイントでした。

1910年になると、イタリア側主導で経営が再編され、同年6月に社名は正式にA.L.F.Aへと変更されます。秋までには24HPの最初のプロトタイプが完成し、試験走行を経て市販の準備が整いました。このときA.L.F.Aは、24HPだけでなく、より簡素で小型の12HPも投入しようとしており、上級車と中級車を揃えることでラインアップ全体の競争力を高めようとしていました。今でいえば、フラッグシップサルーンとコンパクトセダンを同時に市場投入するようなイメージです。 

24HPは、その後A〜Dまでのシリーズに分けて改良が続けられました。シリーズAとBは1910〜1912年にかけて各50台程度が生産され、42馬力のエンジンで最高速度100km/h前後を記録します。1913〜1914年のシリーズCとDでは、タルガ・フローリオ参戦用に開発された高出力仕様のエンジンを取り込み、出力は45馬力、最高速度は約105km/hまで引き上げられました。こうして24HPは、単なる“創業時の一発勝負モデル”ではなく、のちの20-30HPや20-30ES Sportへと連なる長期的な技術の基盤になっていきます。 

24HPの物語を辿ることは、A.L.F.Aという新興メーカーが、ライセンス生産から脱却して自前の技術と哲学を手に入れていく過程を追体験することでもあります。イタリアの道路事情をよく知る技術者と、フランス車の限界を実感していた経営陣が、どのようなクルマを“最初の一台”として選んだのか。その答えが、4.1リッター直4を積んだ大柄なツーリングカー、24HPだったというわけです。

 

4.1リッター直4が形づくった「アルファらしい」メカニズム

A.L.F.A・24HPの心臓部は、4084ccの直列4気筒サイドバルブエンジンです。ボア×ストロークは100×130mmというロングストロークで、シリンダーブロックとヘッドは鋳鉄製の一体構造、クランクケースはアルミ製という組み合わせでした。サイドバルブとは、吸排気バルブがシリンダーの横に配置された構造のことで、現代のOHVやDOHCと比べればシンプルですが、当時としては信頼性の高い方式でした。2200rpmという低い回転数で42馬力前後を発生し、トルクフルで粘りのある走りを実現していたと伝えられています。

このエンジンに組み合わされるのが、4速のマニュアル・ギアボックスです。興味深いのは、このギアボックスがエンジンと一体ではなく、ほぼシャシー中央、ドライバーの足元付近にレイアウトされていた点です。エンジンとギアボックスの間は短いプロペラシャフトでつなぎ、そこからさらに後輪へと長いシャフトで駆動力を伝える構造になっていました。当時としてはやや凝ったレイアウトですが、重量配分を整え、長距離の巡航安定性を意識した設計だったと考えられます。

シャシーはC字断面のプレス鋼板レールを用いたラダーフレームで、前後にリジッドアクスルと半楕円リーフスプリングを組み合わせた構成です。ブレーキは後輪ドラムのみで、ペダルとハンドブレーキの両方で同じ後輪ブレーキを作動させる方式でした。現代の感覚からするとかなり心もとないですが、当時の速度域と道路状況を考えれば標準的なレベルです。ホイールは木製スポークで、大径タイヤと相まって路面の凹凸をうまくいなす“天然のサスペンション”としても機能していました。

また、24HPとその派生モデルである20-30HPシリーズは、エンジンの改良を積み重ねながらも基本レイアウトを維持し続けました。1914年に登場した20-30HP(シリーズE)では、エンジン出力は49馬力まで高められ、カムシャフト駆動もギアからチェーンへ変更されますが、フロントエンジン・後輪駆動のレイアウトや4速ギアボックス、ラダーフレーム構造といった骨格はそのまま受け継がれます。ここには「ひとつの良い基本設計を長く磨き続ける」という、アルファロメオが後年に至るまで繰り返す設計哲学の原型を見て取ることができます。

数字だけを眺めると、24HPのスペックはシンプルです。しかし、ラダーフレームの上にエンジンとギアボックス、プロペラシャフトとリジッドアクスルが一直線に並ぶ構図は、ある意味で「クルマの原型」のような美しさを持っています。現代のアルファロメオがFRレイアウトや走りの楽しさを語るとき、そのずっと遠い源流には、こうした素朴で合理的なメカニズムがあったのだと考えると、24HPというモデルが一気に立体的に見えてきます。

 

タルガ・フローリオと軍用車が築いたブランドイメージ

A.L.F.A・24HPが歴史の表舞台に躍り出たのは、1911年のタルガ・フローリオでした。シチリア島の山岳路を舞台にしたこのレースは、現在でも伝説的な公道レースとして語り継がれています。A.L.F.Aはこの第6回大会に向けて、24HPをベースにしたレーシング仕様「tipo corsa」を2台製作しました。軽量な2座バケボディに架装し、シート後方には30リットルの追加燃料タンクとスペアタイヤを2本積み、エンジンは45馬力仕様へとチューニング。車重は標準トルペードの約1000kgから870kgまで絞り込み、最高速度は110km/hに達したといいます。

レース当日、24HP tipo corsaは序盤から極めて好調で、周回の大半をトップ争いの中で戦いました。しかし、一台はアクシデントでリタイアし、もう一台はドライバーの肉体的な限界により最終ラップで棄権を余儀なくされます。結果として表彰台には届きませんでしたが、「新興ブランドA.L.F.Aの24HPがタルガ・フローリオをリードした」というニュースはヨーロッパ中の愛好家に強烈な印象を残しました。レースの勝敗以上に、「速くてタフな新しいイタリア車」としてのイメージを一気に獲得したわけです。

一方で、24HPは華やかなレースの世界だけでなく、より実務的なフィールドでも評価されました。第一次世界大戦期には、このモデルをベースにした車両がイタリア王国軍の公用車としても用いられ、将校輸送や連絡任務などに活躍したとされています。堅牢なラダーフレームと大排気量エンジンは、悪路や長距離移動に適しており、その実績は後にA.L.F.Aがトラックや商用車の分野へ進出する際の布石ともなりました。「24HPが軍で使われた」という事実は、まだ若いブランドの信頼性を証明する格好の材料でもありました。

やがて24HPは、その発展型である20-30HP、そしてアルファロメオの名を正式に名乗る最初のモデル20-30ES Sportへとバトンを渡していきます。とはいえ、タルガ・フローリオでの挑戦や軍用車としての採用といった初期のエピソードは、今日に至るまでブランドの語り口の中で繰り返し参照され続けています。スピードと耐久性、サロンと戦場、華やかなレースと泥臭い実務。その両方を経験した24HPは、まさにアルファロメオというメーカーの“素性”を象徴する存在だったと言えるのではないでしょうか。

まとめ

A.L.F.A・24HPは、スペック表だけを見ると素朴な大排気量ツーリングカーに見えるかもしれません。ただ、その背景にある物語を辿ると、そこには後のアルファロメオらしさにつながる要素がいくつも顔を出します。フランス車ダラックの行き詰まりから、自社設計へと舵を切った決断。イタリアの道路とユーザーに合わせた大排気量直4エンジンと、ロングストロークによる粘り強いトルク特性。タルガ・フローリオへの挑戦で示したスピードと、軍用車として選ばれるほどの信頼性。そのすべてが、この一台の上にレイヤーのように重なっています。

現代のアルファロメオのスポーツモデルに触れていると、ときどき「このクルマは、どこからこういう性格になったのだろう」と感じる瞬間があります。FRレイアウトへのこだわりや、カタログ値以上に“走りの感触”を大事にする姿勢、そしてモータースポーツを自社の歴史の中心に据えるスタンス。そうした特徴の、ごく初期の原型を探していくと、最終的には24HPのような創業期のモデルに行き着きます。

ミュゼオ・ストリコ・アルファロメオなどで、クリーム色のトルペードボディをまとった24HPと対面すると、単なる古典車以上の雰囲気を感じるはずです。ずんぐりとしたボディの下には、現代にも通じる合理的なFRメカニズムが潜み、その周囲には、タルガ・フローリオの埃っぽい山岳路や、軍用車として酷使された時代の空気がまとわりついています。歴史を知ったうえで眺めると、そのすべてが一本の時間軸の上でつながり、今のアルファロメオのスポーツモデルまで一直線に伸びているように感じられます。

A.L.F.A・24HPは、派手なスタイリングや超高性能で語られるクルマではありません。しかし、「ブランドの性格はどこから始まったのか」という問いに対して、これほど説得力のある答えを示してくれる一台もそう多くはありません。アルファロメオの歴史に興味を持ったとき、まず最初にページをめくるべき存在として、この24HPを心の片隅に置いておくと、後のモデルたちを眺める視点もぐっと豊かになるはずです。