
くろがね四起 諸元データ(1937年式・九五式小型乗用車)
・販売時期:1937年〜1945年
・全長×全幅×全高:約3300mm × 1430mm × 1900mm
・ホイールベース:約2000mm
・車両重量:約1100kg
・ボディタイプ:2ドアオープンまたは幌付き4座乗用
・駆動方式:パートタイム4WD(FR + 4WD)
・エンジン型式:水冷V型2気筒(空冷説もあり)
・排気量:1395cc
・最高出力:33ps(24kW)/ 3300rpm
・最大トルク:情報不明(記録が残っていない)
・トランスミッション:3速MT
・サスペンション:前:リーフリジッド / 後:リーフリジッド
・ブレーキ:機械式ドラムブレーキ
・タイヤサイズ:6.00-16
・最高速度:約70km/h
・燃料タンク:約50L
・燃費:約10km/L(推定)
・価格:軍需品のため市販なし
・特徴:
- 日本初の量産四輪駆動車
- 国産オフローダーの先駆け
- 小型で山岳地でも運用可能
「日本で初めての四輪駆動車」と聞いて、多くの人がジープを連想するのではないでしょうか。あるいは、戦後のトヨタ・ランドクルーザーや日産・パトロールの名を思い出すかもしれません。しかし実は、日本にはそれよりもはるかに早く、独自に設計され、国産技術で量産された四輪駆動車が存在していたのです。その名は「くろがね四起(しき)」。正式には「九五式小型乗用車」と呼ばれたこの車両は、1930年代後半の日本において、軍事用小型四輪駆動車というまったく新しいジャンルを切り拓いた先駆者でした。
このくろがね四起を開発したのは、日本内燃機株式会社。後の「くろがね工業」です。彼らは当時の軍からの要請を受け、寒冷地や山岳地などの過酷な環境下でも機動的に動ける車両を目指して試行錯誤を重ねていきました。結果として生まれたのが、V型2気筒エンジンを搭載し、前後輪を駆動できる本格的な4WD構造を持つこの車でした。しかもその構造は日本独自のもので、アメリカや欧州からのライセンスではありませんでした。
小さなボディに秘められた力強さと、当時としては非常に画期的なメカニズム。そしてそれを作り上げた技術者たちの熱意と創意工夫。くろがね四起は、戦時中の物語の一端ではなく、日本自動車史における重要な転換点だったのです。現代においてこの車が再評価されている理由も、その歴史的価値の大きさを物語っています。今回はそんな「くろがね四起」の誕生背景から実力、そして今もなお語り継がれる理由までを、じっくりと掘り下げていきましょう。
「日本初の量産四輪駆動車」が誕生するまで
1930年代の日本は、欧米諸国に比べて自動車産業が大きく立ち遅れていた時代でした。自家用車などはまだ一部の特権層のものであり、道路事情も劣悪で、舗装されているのは都市部の幹線道路くらい。地方に行けば未舗装でぬかるんだ道ばかりでした。そんな時代背景の中、陸軍は「どんな悪路でも確実に走破できる小型車両」を求めて、日本のメーカーに開発を要請します。その指名を受けたのが、日本内燃機株式会社という企業でした。
この会社はそれまで航空機用エンジンや小型発動機の製造で一定の評価を得ており、機械構造に対する高い知見を持っていました。彼らが着手したのは、単に「頑丈な車」ではなく、極寒地や急峻な地形にも対応できる、本格的な軍用四輪駆動車の開発でした。試作車は1935年頃に完成し、陸軍による厳しい走行試験を経て、1937年には正式に「九五式小型乗用車」として制式採用されるに至ります。
最大の特徴は、日本初の量産型四輪駆動車であったこと。前輪にも駆動力を伝えられることで、雪道や泥道、急斜面といった悪路でも高い走破性を発揮しました。しかもその機構はすべて国産技術で設計されており、部品の多くも国内で生産されたものです。戦前の日本で、これほど先進的な車両が量産されたことは、今改めて見ても驚きに値します。

山岳地も雪原も突き進んだその走破性
くろがね四起の最大の魅力、それは何と言ってもその走破性にありました。車体は非常にコンパクトで、狭い林道や山道でも取り回しやすく、サスペンションにはリーフスプリングを採用。悪路に強く、丈夫で壊れにくい構造が特徴でした。しかも車重も軽く、4人乗りながらも1100kg程度と、現代の軽SUVよりも軽量だったのです。
その設計は、単に軍用というだけではなく、あらゆるフィールドでの機動性を想定していました。とくに中国大陸や満州など、極寒地での運用が多く見込まれたため、寒冷地でも始動しやすいエンジンや、冷却性能の高い設計が施されていた点も見逃せません。事実、寒冷地テストでは氷点下30度の中でもエンジン始動が確認され、凍結した道でもしっかりと走行できたと記録に残っています。
また、用途も非常に幅広く、連絡車・偵察車・将校の移動用車両として活躍し、戦場では前線と司令部を結ぶ重要な交通手段として信頼されていました。ジープのように前線での多目的運用は少なかったものの、そのコンパクトさと確かな走行性能から「日本のジープ」と呼ばれることもあります。とはいえ、アメリカのジープとは違い、設計思想が根本から異なるという点もまた、くろがね四起のユニークさなのです。
忘れられた伝説、そして蘇る歴史の証人
終戦とともに、多くの軍用車両と同様にくろがね四起も姿を消していきました。敗戦国となった日本では、軍用資材の多くが接収され、車両も解体・廃棄されていきました。残されたくろがね四起も、多くは廃車処分となり、現存する個体はほんのわずかしかありません。しかしその希少性こそが、この車の価値をいっそう高める結果となっています。
近年では自動車博物館や愛好家たちの手によって、奇跡的に残された車両がレストアされ、イベントや展示会などでその姿を目にすることができるようになっています。実車を目の前にすると、そのコンパクトさと無骨なデザイン、そして武骨ながらも味のある佇まいに心を奪われる人も多いはずです。
くろがね四起は、戦後のジープBJやパトロールのように量産され市販されることはありませんでしたが、それが逆に「幻の四駆」としての神秘性を生んでいるとも言えます。そして何より、この車が持つ「日本で初めて自前の技術で作り上げた四輪駆動車」という誇りは、今の日本の自動車産業の礎の一つとなっていることを忘れてはなりません。忘れられた伝説は、いま再び、静かに語り始めています。

まとめ
くろがね四起は、単なる軍用車の一台ではありませんでした。それは、日本人の創意工夫と技術力の結晶であり、四輪駆動というジャンルにおける国産第一号という偉業を成し遂げた存在です。その歴史をたどることで、私たちは今の便利な四駆車がどれだけの技術と試行錯誤の積み重ねの上に成り立っているかを再認識できるのではないでしょうか。
今やくろがね四起を見る機会は限られていますが、その姿はかつての日本の未来を切り拓こうとした人々の情熱を映す鏡でもあります。派手さはなくとも、どんな道でも進むという意志を体現したこの車は、今もなお静かに、そして力強く語りかけてきます。
もしあなたがどこかでこの車に出会う機会があれば、ぜひそのフレームの隅々まで見てみてください。そして、そこに込められた先人たちの工夫と誇りに、少しでも触れてみてほしいのです。それこそが、この車が今も語り継がれる理由なのだと思います。