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三菱・ディアマンテ:FFで世界を狙った“ダイヤモンド”セダンの真価

三菱・ディアマンテ諸元データ(初代 25V)

・販売時期:1990年〜1995年
・全長×全幅×全高:4740mm × 1775mm × 1410mm
ホイールベース:2720mm
・車両重量:1460kg
・ボディタイプ:4ドアセダン
・駆動方式:FF(前輪駆動)
・エンジン型式:6G73
・排気量:2500cc
・最高出力:175ps(129kW)/ 6000rpm
・最大トルク:22.5kgm(221Nm)/ 4500rpm
トランスミッション:4速AT
・サスペンション:前:ストラット / 後:マルチリンク
・ブレーキ:前後ディスク
・タイヤサイズ:205/65R15
・最高速度:―
・燃料タンク:70L
・燃費(10・15モード):約9.5km/L
・価格:約300万円(25V)
・特徴:
 - 日本市場向けの高級FFセダン
 - 海外市場でも「Diamante」として展開
 - 当時の三菱技術の結晶ともいえる先進装備群

 

1990年代の日本車といえば、世界中が「メイド・イン・ジャパン」の品質と技術力に驚嘆していた時代。そんな中、三菱が自信を持って送り出した高級セダンが「ディアマンテ」でした。その名の通り“ダイヤモンド”を意味するこのモデルには、ブランドの威信をかけた挑戦と夢が詰まっていたのです。

ディアマンテは、ただの高級車ではありませんでした。当時の常識を覆す“FFのラグジュアリーセダン”という構想を掲げ、広々とした室内空間、先進的な電子装備、そして洗練されたデザインで注目を浴びました。そして何より興味深いのは、その大胆な設計思想が海を渡り、北米市場でも“ダイアモンテ”として活躍していたという点。三菱のグローバル戦略の象徴とも言える存在だったのです。

この記事では、そんなディアマンテの誕生背景から、レイアウトの挑戦、さらには派生モデルや海外展開のエピソードまでを深掘りしていきます。今ではあまり語られなくなったかもしれませんが、このクルマが残した足跡は、今も十分に語る価値があると私は思います。

 

「ラグジュアリーの野望」:三菱が描いた“逆輸入高級車”の夢

1990年、三菱はディアマンテという名の全く新しい高級セダンを市場に投入しました。当時の三菱といえばギャランやエテルナといった堅実な中型車のイメージが強かった中、ディアマンテは明確に「ラグジュアリー」を意識した異色の存在でした。しかもその狙いは、日本国内だけにとどまりませんでした。実は開発段階から、北米市場での展開を視野に入れた“ワールドカー”として設計されていたのです。

日本市場において、ディアマンテは三菱の技術の結晶とも言えるような装備で武装していました。電子制御サスペンション、トラクションコントロール、そして当時としては最先端の4WS(四輪操舵)システムまでラインアップされ、ドライバーを魅了しました。一方でその戦略は北米市場にも波及し、三菱はアメリカでこのクルマを「Diamante(ダイアモンテ)」として販売。とくにカリフォルニアの三菱モーターズ・ノースアメリカで独自に開発・生産された左ハンドル仕様の“北米専用モデル”も存在しました。

この逆輸入的アプローチが示すのは、三菱が当時抱いていた壮大なビジョンです。トヨタのクラウンや日産のセドリック/グロリアといった保守的な高級車の枠を飛び越え、世界市場で戦える“新しいスタイルの高級車”を作ろうという試み。実際にアメリカ市場では、トヨタ・カムリホンダ・アコードなどと競合しつつも、一定の高評価を獲得しました。豪華さと合理性を兼ね備えたディアマンテは、三菱にとってのひとつの“夢”だったのです。

 

「FRじゃない高級車」:FFであることが意味した挑戦とその結果

1990年代の高級車市場では、「高級車=FR(後輪駆動)」というのが常識でした。トヨタ・クラウン日産・セドリックも、みなFRレイアウトを貫いていたのです。そんな中、三菱はあえてFF(前輪駆動)を採用したディアマンテを投入しました。これは単なる変化球ではなく、しっかりとした戦略と技術的自信の現れでした。

FFレイアウトの最大のメリットは、スペース効率の良さにあります。プロペラシャフトが不要なため床下がすっきりとし、室内空間が広く取れるのです。ディアマンテはこれを活かして、同クラスのFRセダンよりも一段と広々とした後席を実現。特に日本仕様では後席の快適性を重視し、シートの形状や足元のゆとりが高級車らしい贅沢さを演出していました。また、冬の日本の道路事情を考慮すると、雪道での走行安定性という面でもFFは有利です。

しかしもちろん、デメリットもありました。FF車は構造的に重量配分が前寄りになるため、高速走行時の安定感や操縦性ではFRに一歩譲る場面もあったのです。また、当時の高級車ユーザー層には「FR=本格派、高級」という根強いイメージがあり、そこに挑んだディアマンテは、ある意味で“常識に逆らった存在”でした。

それでも三菱は、自社の技術力と信念をもってこの選択を押し通しました。電子制御サスペンションや高剛性ボディなどのテクノロジーを惜しみなく投入し、FFでありながら快適性と安定性を両立させることに成功。結果として、ディアマンテは“FFの限界を超えた高級車”として、多くのユーザーに新たな価値観を提示したのです。

アメリカンなディアマンテ」:プラウディアデボネアVとの関係と海外戦略

ディアマンテは日本の道を走るだけのクルマではありませんでした。海外でもしっかりとその存在感を示し、特にアメリカ市場では“三菱の顔”ともいえるモデルとなったのです。北米仕様の「ダイアモンテ」は、当初こそ日本からの輸出モデルでしたが、のちに現地生産に切り替わり、専用のフロントマスクや内装が与えられた“独自進化”を遂げていきます。

そしてこのディアマンテをベースに派生したのが、「プラウディア」と「デボネアV」でした。どちらも三菱が国内市場に向けて開発した高級セダンですが、特にプラウディアはディアマンテをベースにボディを大型化し、日産・シーマトヨタセルシオに対抗する旗艦モデルとして登場しました。とはいえ、当時の三菱にはトヨタのような販売力やブランドの歴史がなかったため、売れ行きは苦戦。結局、プラウディアは短命に終わることになります。

また、デボネアVは元々別ラインのセダンでしたが、途中からディアマンテのコンポーネントを共有する形に切り替わり、事実上の兄弟車のような存在となります。これらの展開を見ると、ディアマンテがいかに三菱の高級車戦略の“核”であったかがわかるでしょう。部品共有やプラットフォーム戦略という視点でも、ディアマンテは先進的だったのです。

北米市場でのダイアモンテは、初期は高評価を受けながらも、次第に競合ひしめく中で埋もれていきました。しかしその影響は、三菱が海外市場を本気で取りに行こうとしていた証でもあります。ディアマンテはただの1車種ではなく、三菱というメーカーの“野心の化身”だったのです。

まとめ

三菱・ディアマンテは、単なる高級セダンではありませんでした。それは三菱が時代の常識に挑み、自社の技術と発想力をもってラグジュアリーカーの世界に打って出た、まさに“挑戦の象徴”だったのです。

FFでありながら高級車を名乗るという意欲的なレイアウト、快適性と走行性能を両立させる電子制御技術、そして日本だけでなくアメリカ市場までも視野に入れたグローバルな展開。さらに、そこから派生したプラウディアデボネアVの存在を見ても、ディアマンテが三菱の高級車戦略の中核を担っていたことは明白です。

現在の日本市場ではディアマンテのようなクルマはなかなか見られなくなりましたが、その存在は今なお語り継がれる価値があります。特に当時の三菱がどれだけ真剣に“世界で通用するクルマ”を作ろうとしていたか。その熱量を感じるには、ディアマンテという名のダイヤモンドを振り返るのが一番かもしれません。