
タタ・インディカ V2(初代・改良型)諸元データ
・販売時期:1998年~2008年
・全長×全幅×全高:3675mm × 1665mm × 1485mm
・ホイールベース:2400mm
・車両重量:945kg
・ボディタイプ:5ドアハッチバック
・駆動方式:FF(前輪駆動)
・エンジン型式:475DL(ディーゼル)/ 1.4 MPFI(ガソリン)
・排気量:1396cc
・最高出力:55ps(40kW)/ 5000rpm(ガソリン)
・最大トルク:10.3kgm(101Nm)/ 3000rpm(ガソリン)
・トランスミッション:5速MT
・サスペンション:前:マクファーソンストラット / 後:トーションビーム
・ブレーキ:前:ディスク / 後:ドラム
・タイヤサイズ:165/65 R13
・最高速度:約140km/h(ガソリンモデル)
・燃料タンク:37L
・燃費(インドARAIモード):約14〜17km/L(ガソリン)
・価格:約25万〜35万インドルピー(当時)
・特徴:
- インド初の国産乗用車
- パワステ・パワーウィンドウ標準装備(上位グレード)
- 欧州向けにOEM供給(シティローバー)
「国産車」といえば、私たち日本人にとっては長年の信頼と親しみを感じる存在かもしれませんが、実は1990年代末まで“乗用車を完全に自国開発する”という夢を抱いていた国が他にもありました。それがインドです。世界的に知られるタタ・モーターズが、商用車メーカーとしての実績を持ちながら、乗用車市場に本格参入したのが1998年。その記念すべき第一歩となったのが、初代「タタ・インディカ」でした。
このクルマは「インド人による、インド人のための、インド人のクルマ」としてデビュー。当時のキャッチコピー「More car per car(クルマに対して、より多くのクルマを)」というフレーズは、その装備や広さ、価格設定すべてに通じる哲学でした。パワーステアリング、パワーウィンドウ、冷房完備という装備を備えながらも、手の届く価格に抑えられていたのです。
そんなインディカはやがてインド市場だけでなく、イギリスに“シティローバー”として輸出されるなど、思いがけない展開も見せました。今回はこのインディカの誕生秘話から海外展開、そして人々に愛された理由まで、3つの視点からじっくりご紹介していきます。

インド初の国産乗用車、その誕生の舞台裏
1998年、インドの自動車史にとって記念すべき出来事が起こります。それが「タタ・インディカ」の登場です。このクルマは、単に新型車が発売されたというだけではありませんでした。もっと大きな意味を持っていました。なぜなら、インディカはインド初の完全自社開発による国産乗用車だったからです。
それまでインドの乗用車市場といえば、マルチ・スズキのような合弁企業や、外国ブランドのモデルをライセンス生産したものがほとんどでした。そこに、トラックやバスの製造で知られていたタタ・モーターズが、自力でプラットフォームからエンジンまでを開発した乗用車を持ち込んだのです。インディカの開発は国家的なプロジェクトのような意味合いも持ち、発表時にはインド国民の誇りとしてメディアも大きく取り上げました。
しかも、単に「国産だから偉い」というだけではありません。インディカは実用性と装備の両立に長けており、ハッチバックスタイルでコンパクトながらも室内は広々。5人が無理なく乗れる居住空間に加え、当時のインド車としては異例とも言える装備、たとえばパワーステアリング、パワーウィンドウ、エアコンなどを搭載していました。これらの装備が当たり前の日本や欧州の基準で見れば驚かないかもしれませんが、当時のインドではこれらは「高級車の証」でした。
市場投入後、インディカは瞬く間に人気を博し、特に都市部の中流層に強く支持されました。その後もディーゼルモデルや改良型「V2」などを追加し、2000年代中盤まで長く販売され続けました。まさに「インド人による、インド人のためのクルマ」として、インディカは国産乗用車の時代を切り開いたのです。

欧州にも挑戦!シティローバーとしてのもうひとつの顔
初代インディカがインド国内で成功を収めたあと、タタ・モーターズは次なる一手として「輸出」を選びました。その中でもとりわけ注目を集めたのが、イギリス市場への進出です。タタは当時経営難にあえいでいた英国の自動車メーカー、MGローバーと手を組み、インディカを「シティローバー」として英国で販売することになったのです。そう、インディカは実はヨーロッパでも販売されていたんです!
MGローバー側は、既存のモデルに代わるエントリーモデルが喉から手が出るほど欲しい状態。そこで目をつけたのが安価で実績のあるタタ・インディカでした。車体や基本設計はインディカそのものですが、外装バンパーやエンブレム、内装に若干の変更を加え「MGローバー流」にアレンジされたのがシティローバーです。とはいえ、パッと見た感じでは「ちょっと高そうなインディカ」という印象も否めませんでした。
2003年に登場したシティローバーは、販売当初こそ話題になったものの、やがて厳しい評価を受けることになります。その理由は主に「価格と品質のバランス」。インドでの価格に比べ、英国でのシティローバーは割高で、内装の仕上がりや走行性能に対してその価格が見合っていないと指摘されました。また、MGローバーが独自に内外装の一部を仕立て直したことで、逆にインディカの素朴な魅力が薄れてしまったとも言われます。
結果としてシティローバーは商業的に大ヒットとはならず、MGローバーの経営を立て直すまでには至りませんでした。しかしながら、インディカがヨーロッパの名門ブランドのバッジをつけて走ったという事実は、当時のインド車としては非常に大きな一歩。国産車が世界市場に挑む礎となった試みとして、シティローバーは今も語り草になっているのです。
安価だけど高機能?広さと快適性が支持された理由
初代インディカがインド市場でこれほどまでに愛された理由、それは単なる「国産車だから」ではありませんでした。むしろ、価格に対して得られる内容の“お得感”こそが最大の魅力だったのです。タタ・モーターズは当初から「More car per car(クルマに対して、より多くのクルマを)」というコピーを掲げ、買い手が驚くほどの装備と快適性を用意していました。
まず、注目すべきは車内空間の広さ。インディカは全長こそ4メートル未満とコンパクトながら、ホイールベースは同クラスの他車よりも長く、ゆったりとした後席空間を実現。家族での移動も無理なくこなせるサイズ感で、都市部の渋滞や駐車事情にもマッチしていました。さらに、背の高いインド人にとっても快適な頭上スペースを確保していた点も好印象でした。
また、当時のインド市場で「冷房完備」「パワーステアリング」「電動ウィンドウ」が揃っている車はまだまだ高級車の域。ところがインディカでは、これらの装備が中級以上のグレードで普通に手に入ったのです。しかも価格帯は25万〜35万ルピー程度と、競合車に比べてリーズナブル。これには多くのユーザーが「装備の割に安い!」と飛びつき、インディカは一躍人気モデルとなりました。
さらに特筆すべきは、燃費の良さと維持費の安さ。特にディーゼルモデルは、長距離通勤や営業車としても重宝され、タクシーとして導入される例も多く見られました。結果としてインディカは、個人ユーザーからビジネスユースまで幅広く受け入れられ、“実用の王様”としてその地位を確立していきました。
こうして、安価ながらも「快適・広い・装備充実」という三拍子揃ったインディカは、単なる「国産初」ではなく、人々の生活に本当に役立つクルマとして深く浸透していったのです。
まとめ
タタ・インディカは、単なる“インド初の国産乗用車”という枠を超えた存在でした。自国開発にこだわった背景には、インドのモビリティ産業を自立させたいという強い想いがあり、その想いは広々としたキャビンや充実した装備、そして手に届く価格という形で見事に結実しました。自動車としての完成度だけでなく、国民の自信や誇りまでも背負って走ったこのコンパクトカーは、まさに「クルマ以上の意味」を持つ存在だったのです。
そして驚くべきは、その挑戦が国内にとどまらなかったこと。MGローバーと提携し「シティローバー」として欧州市場に乗り込んだのは、大胆不敵とも言えるチャレンジでした。評価は決して一方的ではなかったものの、インディカが英国の路上を走ったこと自体が、インド車の可能性を広げる象徴的な出来事でした。
最終的に、インディカはインドの自動車史に名を残す“ターニングポイント”となりました。単なる工業製品ではなく、生活の中に根づき、国の進化とともに走ったその姿は、多くの人々にとって忘れられない記憶となっていることでしょう。