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BYD・F3:あの日本車に激似!?EV時代の起点となった“ふつうのクルマ”のすごさ

BYD・F3(初代・ガソリンモデル)諸元データ

・販売時期:2005年〜2015年(初代)
・全長×全幅×全高:4533mm × 1705mm × 1490mm
ホイールベース:2600mm
・車両重量:約1200kg
・ボディタイプ:4ドアセダン
・駆動方式:FF(前輪駆動)
・エンジン型式:473QB(ミツビシ技術ベース)
・排気量:1.5L
・最高出力:106ps(78kW)/5800rpm
・最大トルク:14.3kgm(140Nm)/4500rpm
トランスミッション:5速MT / 4速AT
・サスペンション:前:マクファーソンストラット / 後:トーションビーム
・ブレーキ:前:ベンチレーテッドディスク / 後:ドラム
・タイヤサイズ:185/65 R14
・最高速度:約170km/h
・燃料タンク:50L
・燃費(中国基準):約6.2L/100km(約16.1km/L)
・価格:約5万〜7万元(日本円で当時約75〜100万円)
・特徴:
 - トヨタ・カローラ似のデザインで話題
 - 驚異のコストパフォーマンス
 - BYDの量販車路線を確立した先駆け

 

中国の自動車市場が急成長を遂げた2000年代、その変革の先頭に立っていたのがBYDという新興メーカーでした。そのなかでも、同社の名を一躍有名にした立役者こそが「BYD・F3」。2005年に登場したこのコンパクトセダンは、外観からインテリア、走行性能まで“どこかで見たことあるような…”と話題になりながらも、実際には数百万台以上を売り上げるという大ヒットモデルとなりました。

当時の中国では、日本車やドイツ車が「憧れの存在」だった一方で、価格の壁が厚く、多くの人にとっては手の届かないものでした。そこに突如現れたF3は、手ごろな価格でありながら、十分すぎる機能性と信頼性を兼ね備えていたのです。しかも後には、ハイブリッドやEVといった先進的な派生モデルまで展開され、中国メーカーとしての“次の一手”を象徴する存在となっていきました。

今回はそんなBYD・F3にスポットを当て、その登場時の衝撃、圧倒的な販売台数の裏にある理由、そしてBYDのEV戦略の原点としての役割に迫ります。中国自動車史の転換点となったこのモデルの魅力を、ぜひ一緒に振り返っていきましょう。

 

「日本車そっくり!?」初代F3が話題をさらった理由

BYD・F3が初登場した2005年、中国の自動車業界はまさに過渡期を迎えていました。多くの国産メーカーが技術開発に苦戦するなか、BYDが世に送り出したF3は、その**外観が日本のトヨタ・カローラ(E120型)に“そっくり”**だということで、瞬く間に話題となりました。フロントマスクやヘッドライトの形状、リアコンビランプに至るまで、カローラとの共通点が数多く指摘され、まるで“カローラ風BYD”といった印象を与えていたのです。

では、なぜそこまで似たデザインを採用したのか?実は、当時のBYDにはオリジナルのデザインをゼロから開発する体制が整っておらず、「手堅く売れるデザイン=信頼されている既存モデルに倣う」という戦略を取ったとも言われています。さらに、**中身のエンジンには三菱技術をベースにしたユニットを搭載するなど、技術的にも“信頼性重視”**の設計思想がうかがえます。

もちろん、その「似ている」戦略が功を奏したかどうかには賛否が分かれました。国内ユーザーにとっては「この価格でカローラっぽいクルマが買えるならアリ」と肯定的に受け取られる一方で、国際的には「知的財産権のグレーゾーン」として批判の声も上がりました。しかし、結果としてF3は爆発的に売れ、“コピー”から始まったとしても、独自の道を切り開く第一歩だったことは間違いありません。

 

低価格×実用性で中国を席巻!国民車となったF3の存在感

BYD・F3が真に注目を浴びたのは、その「安かろう悪かろう」という中国車のイメージを覆したからにほかなりません。登場当初の価格はわずか5万元台(約75万円程度)という破格設定。しかも、エアコンやパワーウィンドウ、CDオーディオなどの快適装備が最初から充実しており、まさに**「コスパ最強のセダン」**として庶民の心をガッチリつかんだのです。

当時の中国ではまだ車がステータスシンボルとされ、特に都市部では「車を持っている=成功者」と見られていました。そんな中でF3は、中間層や新社会人にとって“初めてのマイカー”としてうってつけの存在だったのです。燃費も良好でメンテナンス性にも優れ、タクシー会社や企業用の社用車としても広く採用されました。

その結果、F3は2008年には中国国内の乗用車販売ランキングで1位を記録。一時は「中国で最も売れたクルマ」として年間30万台以上の販売を達成する快挙を成し遂げました。これは中国車の歴史においても重要なマイルストーンであり、BYDにとっては“無名の新興メーカー”から“国民車をつくるメーカー”へと飛躍する転機となったのです。

もちろん、安価ゆえの課題もありました。内装の質感や細部の作り込みには粗さも見られましたが、それを補って余りある魅力がありました。ユーザーが求めていたのは高級感ではなく、「買える」「走れる」「壊れない」実用車だったということをF3は見事に証明してくれました。

 

BYDが目指した未来への布石:F3からEVへの流れ

BYD・F3は、単なる「売れるコンパクトセダン」で終わったわけではありません。そのプラットフォームを活用して、**中国初の量産プラグインハイブリッド車「F3DM(デュアルモード)」**が2008年に登場したのです。このモデルは、ガソリンエンジンと電気モーターを組み合わせ、電気だけで最大100km近く走れるという、当時としては画期的な仕様を備えていました。

このF3DMの登場は、BYDにとって極めて重要な意味を持っていました。なぜなら、同社が次に狙っていたのは「電動車メーカー」としてのポジション確立だったからです。F3という“売れる土台”をもとに電動化の実証実験を行うことで、バッテリー技術の蓄積や制御ソフトの開発に大きく寄与したのです。これは現在の「漢(ハン)」や「シール」といったハイエンドEVモデルの成功にもつながる、まさにBYD電動戦略の原点といえるでしょう。

ただ、F3DM自体は商業的にはそこまで成功したわけではありません。価格が高かったこと、インフラが未整備だったこと、そしてまだ“EVってなに?”という時代背景があったことが要因です。しかし、このモデルの技術的フィードバックがなければ、今日のBYDは存在しなかったかもしれません。

BYDはF3の派生モデルを通じて、EVの時代に先駆けて布石を打ち、そのノウハウを着実に積み上げていきました。今や世界屈指のEVメーカーとなったBYDのスタート地点に、F3という「実験台」的存在があったというのは、まさにドラマチックな展開です。

 

まとめ

BYD・F3は、中国自動車産業の成長を象徴するモデルのひとつとして語り継がれるべき存在です。日本車を思わせるデザインで注目を集め、手に届く価格と実用性で市場を席巻し、さらにはEV時代への橋渡しとなる技術開発の土台として活躍しました。単なる模倣から始まったクルマが、やがて一国の自動車文化そのものを変える役割を果たしたという点で、F3の物語は非常に興味深いものがあります。

また、F3の成功によってBYDというブランドが確立され、その後の電動車展開へとつながっていく道筋が生まれました。今では「EVの巨人」として世界的な存在感を放つBYDですが、そのはじまりには人々の生活に寄り添う“普通のセダン”でありながら、可能性を秘めたF3の姿があったのです。

中国製の車と聞くと、かつては「安かろう悪かろう」のイメージが先行していたかもしれません。しかし、F3のようなモデルを通じて、技術的な自信と実績を積み重ねてきたからこそ、今のBYDがあるのだと強く感じさせられます。私たちがこれから乗るEVも、もしかするとF3のDNAを受け継いでいるのかもしれませんね。