マセラティ・カムシン(4.9L V8・5MT)諸元データ
・販売時期:1974年~1982年
・全長×全幅×全高:4484mm × 1830mm × 1150mm
・ホイールベース:2400mm
・車両重量:約1600kg
・ボディタイプ:2ドアファストバッククーペ
・駆動方式:FR(後輪駆動)
・エンジン型式:V8 DOHC
・排気量:4930cc
・最高出力:320ps(235kW)/ 5500rpm
・最大トルク:48.0kgm(470Nm)/ 4000rpm
・トランスミッション:5速MT
・サスペンション:前:ダブルウィッシュボーン / 後:ダブルウィッシュボーン
・ブレーキ:ベンチレーテッドディスク(油圧式アシスト)
・タイヤサイズ:前215/70VR15 / 後215/70VR15
・最高速度:約270km/h
・燃料タンク:90L
・燃費(推定):約4〜5km/L
・価格:当時約1200万円(日本導入時)
・特徴:
- ベルトーネによる楔形デザインとガラス製リアハッチ
- シトロエンの油圧式パワーアシスト機構を多数採用
- FR GTとしてはマセラティ最後のモデル
1970年代の終盤、自動車業界にはスーパーカーブームの熱気が渦巻いていました。その時代の中で、マセラティが送り出したGTカーが「カムシン(Khamsin)」です。名前の由来は、エジプトやスーダンで吹く乾いた砂嵐の風。この強烈なネーミングにふさわしく、カムシンは鋭角的なフォルムと先鋭的な技術をまとった、異色の存在でした。
その美しいフォルムを手がけたのは、あのマルチェロ・ガンディーニ。ランボルギーニ・カウンタックやランチア・ストラトスを生んだ天才デザイナーです。ベルトーネの手により仕上げられたボディは、どの角度から見ても「未来的」と表現したくなる佇まい。特にリアのガラスハッチは、当時としてはかなりの前衛芸術で、今見ても大胆なアイデアです。
ですがこのカムシン、ただのアートピースでは終わりませんでした。エンジンは5リッターV8、最高出力320馬力を発揮する本格派。その一方で、当時マセラティの親会社であったシトロエンの影響で、独特な油圧機構を多数採用。これがマセラティファンをざわつかせる要因にもなったのです。
今回はこのマセラティ・カムシンを、デザインの革新性、技術的挑戦、そして時代に翻弄された運命という3つの視点から、じっくりとご紹介していきましょう。
ベルトーネが描いた未来のGT:楔形ボディとガラスハッチの美学
マセラティ・カムシンの最大の魅力は、その唯一無二のデザインにあります。ボディデザインを手がけたのは、ベルトーネ在籍時のマルチェロ・ガンディーニ。彼の筆によるこのGTは、まるでガラスと金属の塊が精巧に彫刻されたようなフォルムです。
とにかく特徴的なのがリアのガラスハッチ。バックウィンドウがリアスポイラーと一体化したような透明パネル構造になっており、まるで宇宙船のハッチのような近未来感を漂わせています。デザイン性だけでなく、後方視界の確保という実用面も考慮された斬新な試みでした。また、ボディ全体のラインは低く構えた楔形を描き、1970年代の“ウェッジスタイル”ブームの中でもひときわ異彩を放っています。
ボンネットには非対称にレイアウトされたダクトが備えられ、デザインと機能性のバランスが見事に取られています。フロントのリトラクタブルヘッドライトと合わせて、どこか冷ややかで未来的な表情を作り出しているのもポイントです。見る者に強烈な印象を与えるこのスタイルこそ、カムシンが“ただの高級GT”ではないことを物語っているのです。
シトロエンの血が流れるマセラティ:ハイドロニクスの挑戦
1970年代初頭、マセラティはフランスのシトロエン傘下にありました。その影響を色濃く受けたのが、カムシンの「中身」です。最大の特徴は、**シトロエン式ハイドロニューマチックシステム(油圧制御システム)**がブレーキやパワーステアリング、クラッチ、さらにはヘッドライトの開閉にまで応用されていたことです。
この油圧システムは、シトロエンDSなどで培われた技術ですが、マセラティのような高出力GTに搭載されるのは異例でした。確かにスムーズなブレーキ操作や軽快なステアリングフィールをもたらしましたが、一方で整備性の難しさや、経年劣化によるトラブルのリスクも存在しました。特にイタリア車整備に慣れていても、フランス式の油圧系統には頭を抱える整備士もいたと言われています。
さらに、この時期のマセラティは開発リソースが限られていたこともあり、信頼性の面でフェラーリやランボルギーニに後れを取る場面もありました。ただ、これはマイナス要素であると同時に、異文化融合の実験車としての側面とも言えるでしょう。イタリアの情熱とフランスの合理主義がぶつかり合った結果生まれたのが、カムシンだったのです。
スーパーカー時代の波に飲まれて:美しくも儚いGTの運命
カムシンはそのデザイン性も技術的試みも高く評価されるべきモデルでしたが、販売面では苦戦を強いられました。登場時期が悪かったのです。1973年のオイルショック直後ということもあり、大排気量エンジンを積んだ高級GTに対する風当たりは強く、加えてアメリカの衝突安全規制にも対応が難しく、輸出市場も狭まりました。
また、当時はスーパーカーブームの真っただ中。マーケットの注目はフェラーリ512BBやランボルギーニ・カウンタックのような、ミッドシップ&エキゾチックなスーパーカーへとシフトしていました。カムシンのようなフロントエンジンGTは、どうしても「クラシック」なイメージに見えてしまったのです。
最終的に生産台数はわずか430台あまり。マセラティの中でもっともレアな存在のひとつとなり、静かに歴史の表舞台から姿を消しました。しかし、その芸術的なフォルムと、異色の機構を内包したチャレンジ精神は、今も多くのマニアから**“知る人ぞ知る名車”**として愛されています。まさに風のように現れて、風のように去っていったカムシン。その美しさと儚さは、今なお語り継がれるべきマセラティの物語です。
まとめ
マセラティ・カムシンは、単なる高級GTでは終わらない、いくつもの要素が詰まったクルマでした。マルチェロ・ガンディーニによる前衛的なデザインは、今なお多くのカーデザインの指標となっています。そしてシトロエン由来の革新的な油圧機構は、好むと好まざるとに関わらず、クルマの“多国籍的進化”を象徴する存在でもありました。
しかし、そのタイミングはあまりにも不運でした。スーパーカーの時代に、クラシカルなFR GTとして誕生したこと。エネルギー危機や法規制に直面し、潜在的なポテンシャルを十分に発揮することなく消えていったこと。どれも、もし数年早く、あるいは遅れて登場していたらと思わずにはいられません。
とはいえ、そうした数奇な運命も含めて、カムシンは**時代を写す“クルマという芸術”**でした。所有するのは簡単ではありませんが、その存在を知ることだけでも、マセラティの奥深さと美学を感じられるはずです。カムシンは、まさに“風”のような名車だったのです。