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フィアット・600 ムルティプラ:世界初のミニバン!? 小さなボディに詰まったイタリアの大発明

フィアット600 ムルティプラ 諸元データ(1956年式)

・販売時期:1956年~1969年
・全長×全幅×全高:3530mm × 1450mm × 1580mm
ホイールベース:2000mm
・車両重量:約700kg
・ボディタイプ:ミニバン(MPV / マイクロバス)
・駆動方式:RR(後輪駆動)
・エンジン型式:直列4気筒 OHV
・排気量:633cc
・最高出力:21.5ps(15.8kW)/ 4600rpm
・最大トルク:4.2kgm(41Nm)/ 2800rpm
トランスミッション:4速MT
・サスペンション:前:ダブルウィッシュボーン / 後:スイングアクスル
・ブレーキ:ドラムブレーキ
・タイヤサイズ:125-12
・最高速度:90km/h
・燃料タンク:27L
・燃費(推定):約14〜18km/L
・価格:当時イタリアで約730,000リラ(標準仕様)
・特徴:
 - リアエンジンで車内スペースを最大化
 - 最大6人乗車が可能なコンパクト設計
 - タクシー用途や商用車としても人気

 

クルマの世界にも、「先駆者」と呼ばれる存在があります。今でこそ当たり前になった“ミニバン”というジャンルですが、その概念をいち早く形にしたクルマのひとつが、1956年にイタリアで誕生したフィアット600 ムルティプラです。ベースとなったのは、ご存知フィアット600。これを大胆に拡張し、なんと6人が乗れる室内空間を確保してしまったのだから驚きです。

一見すると、ちょっと不思議な箱型のスタイル。しかしこの“ムルティプラ”という名の通り、多目的に使えることが最大の魅力でした。後部座席は折りたたんで荷物スペースにも早変わりし、家族の週末のお出かけから商用利用まで、あらゆるニーズに対応。まさに“ユーティリティ”という言葉がぴったりの一台だったのです。

今回はそんなムルティプラの魅力を、①画期的なパッケージング、②当時のイタリア社会との関わり、③コンパクトさと実用性を両立した工夫という3つの視点から紐解いていきます。「ミニバンの始まりって、こんなに可愛い姿だったの?」と、思わず頬が緩んでしまうような物語が、ここにはあるのです。

 

世界初のミニバン!?―ムルティプラが切り拓いた“多人数小型車”の道

1956年、フィアットは大胆な発想で自動車の常識を揺さぶります。600というコンパクトカーをベースに、なんと6人乗りの車を作ってしまったのです。その名も「ムルティプラ(Multipla)」。名前の意味は“多用途”や“多人数”というニュアンスで、まさにその名に恥じないパッケージングが施されていました。

当時のヨーロッパでは、モータリゼーションの波が本格化。といっても、一般家庭が自家用車を買うのはまだまだ夢のような時代です。そんな中で、**「小さくて、安くて、たくさん乗れて、維持費も安い」**という一台があれば、それはまさに夢のクルマ。ムルティプラはこの理想像を体現するように生まれました。わずか3.5mの全長に3列シートを押し込む離れ業。いまのミニバンにも負けない居住性を実現し、子どもをたくさん抱えた家庭でも安心して乗れる設計でした。

この“多人数乗り”という思想は、今でこそミニバンやMPVに引き継がれていますが、1950年代では極めて先進的な考え方でした。しかも、ムルティプラはただの実験車ではなく、しっかりとした商業モデルとして成功を収めました。小型車に多機能性を与えたことで、家庭向けはもちろん、商用やタクシーとしても重宝され、ヨーロッパ各国で「使えるクルマ」としての地位を築いたのです。

もちろん、快適性やパワーは現代のクルマと比べれば控えめです。しかし、それを補って余りあるのがアイディアの大胆さと実用性のバランス感覚。大衆のニーズをしっかり見据え、現実的に落とし込んだこの設計は、まさにモビリティの民主化に貢献した存在と言えるでしょう。

 

タクシーとしても大活躍!―イタリアの街角とムルティプラの風景

フィアット600ムルティプラは、家族向けの多人数車としてだけでなく、1950〜60年代のイタリア都市部におけるタクシーとしても圧倒的な存在感を放っていました。特にローマ、ミラノ、ナポリといった観光都市では、この小さなミニバンがあちこちで乗客を乗せて走り回る光景が見られ、「イタリアの街角の風景」として深く人々の記憶に刻まれているのです。

なぜムルティプラはタクシーとしても人気だったのでしょうか?
それは第一に、その驚異的なパッケージングにあります。全長はわずか3.5メートル程度と非常にコンパクトなのに、前2列+後1列の3列シートを備え、最大6人までの乗車が可能。狭い路地が入り組む旧市街でも小回りがきき、大人数の観光客グループをまとめて運べるという、タクシーとして理想的な特徴を持っていたのです。さらにリアエンジン方式のため、フロント部分はほぼすべてを客室として使えるのも大きな利点でした。

また、燃費が良く維持費が安いことも、個人経営が主だった当時のタクシー業界にとって大きな魅力。エンジンは非力ながら堅牢で、簡素な作りのため修理もしやすく、走行距離が伸びても十分に実用に耐えました。ムルティプラに乗ったことがあるという高齢のイタリア人は、「おじいちゃんがいつもあれで駅まで送ってくれた」「フィレンツェの街をあれで観光したよ」と、皆どこか懐かしげに語ってくれます。

今ではクラシックカーとして扱われ、イベントなどで再会する機会があると、人々は懐かしそうに笑顔になります。そんなムルティプラの姿を見れば、単なる“移動手段”以上の何かをこのクルマが持っていたことに、改めて気づかされるのです。

 

600ベースなのに6人乗り!?エンジン後方配置の魔法

フィアット600 ムルティプラの最大の驚きは、その小さなボディに6人も乗れてしまうという離れ業です。通常の感覚で言えば、「そんなに詰め込んだら窮屈じゃないの?」と思ってしまいそうですが、実はこの不思議なスペース効率には“魔法のようなトリック”が隠されていました。その鍵を握るのが、**リアエンジン・リアドライブ(RR)**という構造です。

ムルティプラは、エンジンを後部に配置することで、ボンネット部分を完全に居住空間に充てることができました。前列シートはなんとフロントアクスルの上に配置され、まるでバスのような“キャブオーバー”スタイルに近いパッケージ。おかげで全長を伸ばすことなく、室内長を確保できたのです。これは当時としては画期的な設計であり、同時に乗員にとっても斬新な体験でした。運転席からの前方視界は広く、車体の端がよく見えるため、運転のしやすさにも繋がっています。

さらに、リアエンジンによって生まれたもう一つのメリットが、フラットな床と簡単な座席配置の自由度です。中列と後列のシートは折りたたみやすく、用途に応じて荷物を積むスペースを広く取ることも可能。これにより、ムルティプラは乗用だけでなく配送用途や小型バスとしても活躍できたのです。多用途性を重視した設計思想は、後のMPVやワンボックスカーの原型とも言えるでしょう。

もちろんこの構造にはデメリットもありました。リアエンジンゆえに走行中の熱や振動が伝わりやすかったり、バランス面ではやや癖のある挙動になったりと、運転技術が求められる部分もあります。でも、それ以上に「こんなに小さいのに、ここまでできるのか!」という驚きと楽しさが詰まっていたことは間違いありません。600ベースという制約の中で、ムルティプラ空間設計の革新を見事に成し遂げていたのです。

 

まとめ

フィアット600 ムルティプラは、ただの古い小型車ではありません。そこには、限られた空間を最大限に活かす知恵と、時代のニーズに応えようとしたイタリア人の柔軟な発想が詰まっていました。戦後の混乱期を経て、人々がようやく生活にゆとりを持ち始めた頃、彼らはこの小さなクルマに家族や希望を乗せて、新しい日常を走り出していったのです。

特別な高性能でも、目を見張るようなデザインでもないけれど、ムルティプラには「クルマって、こんなに自由でいいんだ」と思わせてくれる魅力があります。ミニバンの原点としてだけでなく、今なお多くの人の心に残る存在である理由が、この記事を通して少しでも伝わったなら嬉しい限りです。