スパイカー・60HP(Spyker 60HP)諸元データ
・販売時期:1903年(1台のみ製造)
・全長×全幅×全高:約4000mm × 1600mm × 1800mm(推定)
・ホイールベース:約2600mm(推定)
・車両重量:約1400kg(推定)
・ボディタイプ:レースカー/ツアラー(オープン)
・駆動方式:四輪駆動(フルタイム4WD)
・エンジン型式:直列6気筒NA
・排気量:8800cc
・最高出力:60ps(44kW)/不明
・最大トルク:不明
・トランスミッション:4速MT(手動)
・サスペンション:リーフスプリング(前後)
・ブレーキ:4輪機械式ドラムブレーキ
・タイヤサイズ:不明(当時はスポーク式ワイヤーホイール)
・最高速度:約90km/h
・燃料タンク:不明(約100L前後と推定)
・燃費:約2〜3km/L(推定)
・価格:製造当時は不明(注文製作)
・特徴:
- 世界初の直6エンジン搭載車
- 初の常時四輪駆動+四輪ブレーキ
- 1903年の段階で極めて高性能なコンセプトを実現
もしも100年以上前に、現代の自動車に通じる“完成形”のような車が生まれていたとしたら──そんな「時代のねじれ」を感じさせるのが、1903年製のスパイカー・60HPです。
エンジンは世界初の直列6気筒。駆動は四輪すべてに伝えられ、さらにブレーキも4輪に装備。この3つの技術革新を同時に成し遂げた初の自動車として、後世では「三冠車」とも称されますが、その姿はどこか“未完成の未来車”のようでもあります。
というのも、スパイカー・60HPはレース参戦の夢を果たすことなく、たった1台だけ製造され、静かに歴史の片隅に姿を消していったからです。しかしそのわずかな登場時間だけで、自動車の未来に火をつけたとも言える存在。量産されなかったからこそ、“伝説”として語られるにふさわしい1台とも言えるでしょう。
今回はそんなスパイカー・60HPという車の、革新に満ちた構造と、実現しなかった夢、そして現代に残る唯一の個体に迫ります。
世界初の直列6気筒エンジンを実現した驚異のメカニズム
スパイカー・60HPに搭載されたエンジンは、直列6気筒、排気量8800ccというとんでもない仕様。当時の一般的な車が1〜2気筒、最大でも4気筒程度だったことを考えると、この設計はまさに“異次元”の発想でした。しかも、このエンジンは60馬力という出力を発生させ、最高速度はなんと90km/h。舗装路すら珍しい時代に、90km/hを出すための車を作っていたわけですから、設計者たちの情熱は想像を絶します。
6気筒エンジンの特徴は、回転の滑らかさと振動の少なさ。現代でも高級車に好まれる構成ですが、それを1903年に量産すらされない試作車で試みるという大胆さには驚くばかりです。エンジンだけでなく、トランスミッションや冷却系も独自設計。エンジンの出力をしっかりと活かすための工夫が凝縮されていました。
そしてこの6気筒エンジンが後の高性能車、GTカー、スポーツカーの礎になったとも言えます。のちにメルセデスやベントレー、ロールス・ロイスといった名門が採用していく6気筒縦置きエンジン。そのルーツの一端が、オランダのこの1台にあったとは、ちょっとロマンを感じてしまいますよね。
四輪駆動と四輪ブレーキ──“走り”と“止まる”を両立した先見性
スパイカー・60HPが1903年に登場した際、多くのエンジニアたちはきっとこう思ったことでしょう。「これは早すぎる」と。なぜなら、この車はエンジンの大出力に対応するため、ただ速いだけでなく、それをしっかりと路面に伝え、そして確実に止める技術まで盛り込んでいたからです。今でこそ当たり前となった四輪駆動と四輪ブレーキ。この2つを組み合わせて実用化した最初の車が、まさにスパイカー・60HPでした。
四輪駆動、つまり前後輪すべてに駆動力を分配する機構は、悪路走破性を大きく高める技術です。現在ではSUVやラリーカーで広く採用されていますが、当時の道路環境は“悪路”が標準でした。だからこそ、舗装されていない地面でもトラクションを確保できる四輪駆動は、極めて実用的かつ革新的な機構だったのです。
さらに驚くべきは、四輪すべてにブレーキを装備していたこと。当時の多くの車が後輪ブレーキのみ、または手動式のブレーキだった中、スパイカー・60HPは前後すべてのホイールに機械式ブレーキを設けていました。これにより高速走行時の安定した制動力が得られ、技術的にも安全性の面でも格段にレベルアップしていたのです。
「速く走る」ことに注目されがちな黎明期の車ですが、「きちんと止まる」「どこでも走れる」といった本質的な性能を追求していたという点で、スパイカー・60HPはまさに“考え抜かれた車”だったと言えるでしょう。
パリ〜マドリードに届かなかった夢──幻のレースカー、60HP
スパイカー・60HPの開発には、明確な目的がありました。それは、1903年に開催予定だった「パリ〜マドリードレース」への出場です。このレースは、当時としては最も過酷かつ話題性のある長距離公道レースで、各国のメーカーが最新鋭の技術を詰め込んだマシンを持ち込む“技術の見本市”のような場でもありました。
スパイカー・60HPもまさにその意気込みで生まれた車でしたが、残念ながら完成がレースに間に合わず、出場は叶いませんでした。しかも、この年のパリ〜マドリードレースは重大事故が多発し、レース途中で中止になるという悲劇的な結果に。結果論ではありますが、もしスパイカー・60HPが出場していたら、その技術力の高さから別の意味で伝説になっていたかもしれません。
その後、60HPは1904年にイギリス・ブラックプールで開催されたレースに出場し、堂々の3位入賞を果たします。さらに1906年には、バーミンガムのイベントで優勝を飾り、限られたレース活動の中でもその高性能ぶりを証明しました。しかし、あまりに高価で複雑すぎたこの車は量産されることなく、結局1台きりの存在に。こうしてスパイカー・60HPは、短くも鮮烈なレースカー人生を終えることとなりました。
今ではその唯一の個体が、オランダ・ハーグにあるロウマン博物館で大切に保管・展示されています。1993年に同館に収蔵されてから、5年もの時間をかけて徹底的にレストアされ、1903年当時の姿をほぼ完全に再現。静かに展示されるその車体の奥には、「もしレースに間に合っていたら──」という無念と、それを超えるだけの技術的偉業が眠っているのです。
まとめ
スパイカー・60HPは、自動車という機械がまだ“実験の延長線”だった時代において、すでに“完成品のような”先進性を備えていた存在でした。直列6気筒エンジン、四輪駆動、四輪ブレーキという、いずれも後のスタンダードとなる技術を、1903年という早すぎる時点でひとつにまとめてしまったこの車は、まるで時代のカーテンを一瞬だけめくって未来を覗かせてくれたようにも思えます。
しかしこの車は、多くのレースを制することも、量産されて街を走ることもありませんでした。1台きりの存在として、ほんのわずかな実戦経験を経たのち、長い沈黙へと入ります。それでも技術のインパクトは大きく、スパイカー・60HPが目指した理想は、のちのクルマたちによって現実のものとなっていきました。
今、ロウマン博物館で展示されているその姿を見れば、当時の設計者たちが持っていた情熱と想像力が、どれほど突き抜けたものであったかがわかるはずです。スパイカー・60HPは、歴史の中で決して忘れられるべきではない“静かな革新”の証人なのです。