ランボルギーニ・ディアブロ VT 諸元データ
・販売時期:1993年〜1998年
・全長×全幅×全高:4460mm × 2040mm × 1105mm
・ホイールベース:2650mm
・車両重量:1625kg
・ボディタイプ:2ドアクーペ
・駆動方式:フルタイム4WD(VT=Viscous Traction)
・エンジン型式:L539(ランボルギーニ製 60°V型12気筒 DOHC)
・排気量:5707cc
・最高出力:492ps(362kW)/ 7000rpm
・最大トルク:59.1kgm(580Nm)/ 5200rpm
・トランスミッション:5速MT
・サスペンション:前:ダブルウィッシュボーン / 後:ダブルウィッシュボーン
・ブレーキ:前後ベンチレーテッドディスク
・タイヤサイズ:前:235/40ZR17 / 後:335/35ZR17
・最高速度:約325km/h
・燃料タンク:100L
・燃費(欧州複合):約4〜5km/L
・価格:約2,200万円(当時の日本価格)
・特徴:
- 世界初の4WDスーパーカーのひとつ
- F40を睨んだV12ミッドシップレイアウト
- クライスラー時代の資本支援による近代化デザイン
1980年代後半、スーパーカーブームが世界を熱狂させる中、ランボルギーニにはある課題が突きつけられていました。「カウンタックの次をどうするか?」という命題です。1970年代から続く名車・カウンタックはすでにその役目を終えつつあり、新時代のフラッグシップが求められていました。そしてそんなタイミングで、ライバルのフェラーリはとんでもない“爆弾”を市場に投下します。それがフェラーリF40。軽量・高出力で公道最速をうたうこのマシンの登場に、ランボルギーニ陣営は黙っているわけにはいきませんでした。
そこで生まれたのが「悪魔(ディアブロ)」の名を冠したスーパーカー。F40への対抗意識と共に、当時の最新技術を詰め込んだ革新の塊であり、同時にランボルギーニらしい“狂気”と情熱を感じさせるマシンでした。その開発には数々の紆余曲折があり、経営の浮き沈みやデザイナーの交代劇、アメリカ企業・クライスラーとの関係など、裏話も盛りだくさん。
今回の記事では、そんなディアブロの開発背景から登場時の衝撃、さらにはVTやSE30など多彩な派生モデルまで、F40という最強のライバルと渡り合った“もう一頭の猛牛”のすべてに迫っていきます。時代を彩ったスーパーカーの真実を、一緒にのぞいてみましょう。
ディアブロ開発の舞台裏:F40に挑んだ「悪魔」の誕生
1980年代後半、ランボルギーニはある種の岐路に立たされていました。象徴的存在だったカウンタックが登場からすでに15年以上経過し、技術的にもデザイン的にも時代遅れになりつつあったのです。そこに追い打ちをかけるように、フェラーリが1987年にF40を発表。軽量ボディにツインターボV8を詰め込んだそのマシンは、「公道最速」を掲げ、スーパーカー界の頂点に躍り出ました。ランボルギーニにとっては、黙って見ていられない挑発だったわけです。
ディアブロの開発はその前年、1985年からスタートしており、コードネームは「プロジェクト132」。目標は明確でした──最高速度315km/h超を実現する世界最速の市販車をつくること。デザインには、あのマルチェロ・ガンディーニが再び指名され、彼らしいアグレッシブなウェッジシェイプが描かれました。ところが、当時のランボルギーニは資金的にも体力的にも厳しい状況にあり、そこへ1987年、アメリカの自動車メーカー・クライスラーが救済に乗り出します。
クライスラーは開発資金の投入だけでなく、ガンディーニ案に対して「ちょっと過激すぎる」とデザインの緩和を要求。このとき手を加えたのが、後にダッジ・バイパーなども手がける社内デザイナー、トム・ギャレルズです。こうして、ガンディーニの「猛牛的アート」から、少しだけ整えられた“アメリカ受け”するラインが加えられ、現在のディアブロのスタイルが完成しました。
そして1990年、ついにその姿が公の場に現れます。5.7リッターV12、485ps、最高速度325km/hという衝撃のスペック。まさに「F40に対抗するために生まれた悪魔」が、ここに降臨したのです。
時代を切り裂く獣:世界最速を狙った性能と存在感
ランボルギーニ・ディアブロが登場した1990年、スーパーカーという言葉には、まだ“危うさ”や“じゃじゃ馬”というニュアンスが残っていました。ドライバーを選ぶその野性味こそが魅力であり、同時に恐れられる存在でもあったのです。ディアブロも例外ではありませんでした。最高速度325km/h、0-100km/h加速はわずか4.5秒というスペックは、まさに“公道で乗れる戦闘機”。この数字は、あのF40にも肉薄し、時には上回るとも評されました。
搭載されたのは、ランボルギーニ伝統の60度V型12気筒エンジン。自然吸気でありながら、5.7リッターという大排気量で怒涛のパワーを叩き出し、そのレスポンスの鋭さはドライバーの技術を試すものでした。トラクションコントロール?そんなものありません。電子制御スロットル?もちろん未搭載。アナログ全開、腕一本でねじ伏せるタイプのスーパーカーだったのです。
とはいえ、F40がスパルタンすぎる「レースカー直系」だったのに対し、ディアブロはあくまで“ランボルギーニらしいラグジュアリー”を忘れなかった点で対照的でした。パワーステアリングやエアコン、レザーインテリアなど、豪華装備を盛り込みつつも走行性能を損なわないバランスを追求したのです。これにはクライスラーの意向も影響していたと言われています。つまり、F40が「速さを極めたストイック派」なら、ディアブロは「地獄のように速くて、でもちょっと快適」な悪魔だったわけです。
公道に放たれたこのマシンは、その迫力あるサウンドと圧倒的な存在感で、スーパーカーというカテゴリーに新たな定義をもたらしました。見た目の派手さ、速さ、そして扱いにくさすら魅力に変えるカリスマ性。ディアブロはまさに、時代を切り裂くようにして走る“獣”だったのです。
進化し続けたディアブロ:VT、SE30、GTから6.0まで
1990年に登場したディアブロは、その後10年にわたり改良と派生モデルの追加が続けられ、スーパーカーとして異例のロングセラーとなりました。その中で最初の大きな進化が、1993年に登場した**ディアブロ VT(ヴィスカストラクション)**です。これはディアブロ史上初となるフルタイム4WDモデルで、トラクションのかかりにくい状況でも高い安定性を発揮しました。「悪魔にしては乗りやすくなった」と揶揄されることもありましたが、性能と安心感の絶妙なバランスを実現したモデルとして、多くのファンを獲得しました。
1994年には、ランボルギーニ創立30周年を記念したディアブロSE30が登場。こちらは逆に徹底した軽量化が施され、トラクションコントロールやオーディオすら省かれたスパルタン仕様。そのスペシャルモデルの中でも、専用エアロを装備した「SE30 JOTA」仕様は、**600ps超を誇る“本気の化け物”**に仕上げられており、コレクター垂涎の一台となっています。
そして1999年、ディアブロの進化はついに最終形態へと到達します。それがディアブロ6.0 VT。このモデルは、1998年にアウディ(フォルクスワーゲングループ)傘下となった後に初めて仕上げられたディアブロで、ビルドクオリティが劇的に向上。内装の質感や操作系の洗練度が飛躍的にアップし、「これまでのワイルドな猛牛が、ついにスーツを着た」と言われるほど。エンジンも6.0リッターに拡大され、575psを発生するなど、見た目だけでなく中身も着実に進化していました。
こうして振り返ると、ディアブロは単なる「初代モデルの延命」ではなく、時代の変化や顧客のニーズに応えながら成長していった、進化するスーパーカーだったことがよくわかります。そしてその進化の系譜は、後継車である「ムルシエラゴ」へと受け継がれ、新たな伝説へとつながっていくのです。
まとめ
ランボルギーニ・ディアブロは、ただの後継車でもなければ、単なるスーパーカーでもありませんでした。それは、フェラーリF40という“頂点”に真正面から挑んだランボルギーニの決意の結晶であり、技術的にも精神的にも、会社の転換期を象徴するような存在だったのです。
激動の時代に誕生し、試行錯誤を重ねながらも改良を積み重ねていったディアブロ。その姿には、スーパーカーとしての華やかさと同時に、ランボルギーニというブランドのアイデンティティが色濃く宿っていました。ときに過激に、ときに洗練されながらも、一貫して「乗る者の心を揺さぶる存在」であり続けたことが、今もなお多くのファンを魅了してやまない理由でしょう。
あれから30年以上経った今でも、ディアブロの名を聞いて胸が高鳴る人は少なくありません。見た目の迫力、エンジン音の轟き、そして背筋を凍らせる加速感──それはまさに「悪魔」の名にふさわしい存在でした。スーパーカーが単なる乗り物ではなく、“夢”や“衝動”そのものだった時代。その真っ只中を駆け抜けたディアブロというマシンは、今も自動車史における特別な一台として、確かに輝いています。