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フィアット・ウーノ・ターボi.e.:小さなボディに宿るホットハッチの魂

フィアット・ウーノ ターボi.e. 諸元データ(1985年モデル)

・販売時期:1985年〜1994年(欧州)
・全長×全幅×全高:3640mm × 1550mm × 1430mm
ホイールベース:2360mm
・車両重量:845kg
・ボディタイプ:3ドアハッチバック
・駆動方式:FF(前輪駆動)
・エンジン型式:146 A2.000(SOHC直列4気筒ターボ)
・排気量:1301cc
・最高出力:105ps(77kW)/5750rpm
・最大トルク:14.3kgm(140Nm)/3300rpm
トランスミッション:5速マニュアル
・サスペンション:前:マクファーソンストラット / 後:トレーリングアーム
・ブレーキ:前:ディスク / 後:ドラム
・タイヤサイズ:175/60 R13
・最高速度:200km/h
・燃料タンク:45L
・燃費(欧州複合):約13km/L
・価格:発売当時 約1000万リラ前後(国や年による)
・特徴:
 - 軽量ボディと高出力ターボでホットハッチの代表格
 - デ・トマソ監修によるスポーツチューニング仕様も存在
 - 一部モデルはインタークーラー付きで出力向上

 

1980年代という時代は、自動車の世界にとって「ターボチャージャーの黄金期」とも言える興奮に満ちた時代でした。燃費規制と排ガス規制をクリアしつつも、ドライバーに笑顔とスリルを与えるために、各メーカーがこぞってターボを導入。その中で、ひときわ大胆かつユニークな存在感を放っていたのがフィアットの「ウーノ・ターボi.e.」です。

ベースとなったウーノは、当時のヨーロッパで最も売れた小型車のひとつ。その堅実な日常使いの顔に、突如「ターボ」という刺激的なスパイスを加えてきたフィアットの姿勢は、まるで真面目なサラリーマンが突然ロックスターに変身したかのよう。軽量ボディに105馬力というハイパワーを与えられたこのコンパクトハッチは、名だたるホットハッチたちに真っ向勝負を挑む性能を誇りました。

今回のブログでは、そんなウーノ・ターボi.e.の魅力を深掘り。単なる「小さくて速いクルマ」では語り尽くせない、デザインの妙とレースの血脈、そして忘れ去られがちな名車としての価値を3つの視点からご紹介していきます。かつてイタリアの路地裏を駆け抜けたコンパクトな猛獣。その知られざるストーリーを、ぜひ一緒に探ってみましょう。

 

イタリアン・ホットハッチの隠れた名車:ウーノ・ターボi.e.の高性能ぶりを解剖

フィアット・ウーノ・ターボi.e.は、いわば“羊の皮をかぶったオオカミ”です。見た目はどこにでもある素朴な3ドアハッチバック。しかしその中身は、当時のスポーツカーにも肉薄する性能を秘めていました。車重845kgという軽量ボディに105psのターボエンジン。パワーウエイトレシオにして約8.0kg/psという数字は、同時期のゴルフGTI(2代目)やプジョー205GTIと肩を並べる水準です。

そして何よりこのクルマの魅力は、その走りの“熱さ”。小さな排気量ながら、ターボの過給圧がかかった瞬間に豹変するレスポンスは、いまのダウンサイジングターボでは味わえない野性味に満ちていました。とくに街中からワインディングに至るまで、アクセルをひと踏みすれば、ウーノは鋭く鼻先を向け、ターボの加速音と共にグイグイと登っていく。まさに“コンパクトな弾丸”といった趣です。

さらに見逃せないのは、「デ・トマソ仕様」の存在です。当時フィアット傘下だったデ・トマソによるスポーツチューニングが施されたバージョンでは、専用インテリアや足回りがさらに磨き込まれ、性能だけでなく“ホットハッチらしい遊び心”もふんだんに盛り込まれていました。派手さよりも中身で勝負。そんなウーノ・ターボi.e.は、まさに知る人ぞ知る名機だったのです。

 

ジウジアーロが描いた機能美:コンパクトなのに広くて美しいウーノのデザイン哲学

ウーノ・ターボi.e.を語るとき、忘れてはならないのがそのベース車、フィアット・ウーノ自体の優れたデザインです。手がけたのは、あのイタルデザイン創業者で“20世紀で最も影響力のあるカーデザイナー”と称されるジョルジェット・ジウジアーロ。1980年代初頭、欧州各国で大ヒットとなったこのウーノのデザインには、彼ならではの合理性と美学が詰まっています。

ぱっと見は直線基調のシンプルな箱型。けれどそのスクエアな形状は、限られた全長の中で最大限の居住性と積載性を実現するための「機能美」の結晶です。さらに注目したいのが、空気抵抗係数(Cd値)0.34という当時としては非常に優れた空力性能。コンパクトカーながら高速域でも安定し、燃費性能にも貢献しています。この空力性能は、後にターボi.e.の高速域での伸びにも大きな役割を果たすことになりました。

また、ターボi.e.専用のボディディテールも見逃せません。フロントスポイラーやサイドスカート、リアスポイラーといった空力パーツに加え、アルミホイールや専用バッジなどで武装された姿は、どこか“イタリアのストリートファイター”といった風情。ギラつかず、それでいて主張のあるその佇まいは、他のホットハッチとは一線を画す個性を放っています。ジウジアーロが描いたこの「賢くて熱い小さなクルマ」は、今見ても色褪せない魅力を湛えているのです。

 

グループBの血を引く!?:ウーノ・ターボi.e.とラリーの関係

1980年代といえば、WRC世界ラリー選手権)の歴史に燦然と輝く“グループB”時代。フィアットアバルトを通じて、リトモ・アバルトや131アバルトなどでその舞台に挑んでいました。そんな中で登場したウーノ・ターボi.e.は、グループB終焉後のグループA時代において、フィアットが改めてラリー競技に挑むための新たなベース車両として注目を集めることになります。

特にヨーロッパのナショナルラリーやヒルクライムでは、ウーノ・ターボi.e.をベースにした「ウーノ・ターボi.e.ラリー」が実戦投入されました。排気量1300ccクラスというコンパクトな枠ながら、その軽量さとターボのパンチ力が相まって、ワインディングが主体のステージでは思いのほかの健闘を見せたのです。さらにインタークーラー搭載モデルをベースにすることで、持続的なパワーと冷却性能の強化も図られました。

そして忘れてはならないのが、アバルトによるスペシャルチューニング。レース専用のECU、強化クラッチ、ロールケージなどを備えた本格的なグループA仕様車が限定的に登場し、一部では「リトモ後継の隠れた本命」として注目されました。フィアットが本腰を入れてWRCに復帰することはなかったものの、その遺伝子は後のプント・スーパー1600へと継承されていきます。こうしてウーノ・ターボi.e.は、単なる市販スポーツグレードにとどまらず、ラリー界でも確かな足跡を残した“戦うウーノ”だったのです。

 

まとめ

フィアット・ウーノ・ターボi.e.は、決して大げさなオーラを放つ存在ではありませんでした。しかし、その奥に秘めた情熱と才能は、同時代のホットハッチたちに決して引けを取らないものでした。軽量なボディにターボのパワーを詰め込んだ痛快な走り、ジウジアーロが手がけた機能美あふれるデザイン、そしてラリーの舞台で見せたしなやかな戦闘力。それらがひとつに溶け合って、ウーノ・ターボi.e.は今もなお、クルマ好きたちの心に小さな火を灯し続けています。

日本では知名度がそこまで高くないモデルですが、だからこそ知っている人にはたまらない。「誰でも乗れる」けれど「誰にでもわかるわけじゃない」そんな密やかな魅力こそが、ウーノ・ターボi.e.というクルマの本質なのかもしれません。
もしあなたが、軽やかで熱いドライビングフィールを求めるなら。この“小さな巨人”はきっと、時代を超えて心を躍らせてくれるはずです。