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トファシュ・ムラット124:トルコ初の国民車が遺した足跡と想い出

トファシュ・ムラット124 諸元データ(1971年モデル)

・販売時期:1971年~1977年
・全長×全幅×全高:4030mm × 1625mm × 1380mm
ホイールベース:2420mm
・車両重量:約855kg
・ボディタイプ:4ドアセダン
・駆動方式:FR(後輪駆動)
・エンジン型式:OHV直列4気筒
・排気量:1197cc
・最高出力:65ps(48kW)/ 5600rpm
・最大トルク:9.5kgm(93Nm)/ 3000rpm
トランスミッション:4速MT
・サスペンション:前:ダブルウィッシュボーン / 後:リジッドアクスル
・ブレーキ:前後ドラム(後期に前輪ディスク化)
・タイヤサイズ:155 SR13
・最高速度:約140km/h
・燃料タンク:39L
・燃費(概算):約11〜13km/L
・価格(当時):約23,000トルコリラ
・特徴:
 - フィアット124のライセンス生産
 - トルコ初の大規模乗用車量産モデル
 - シンプルで整備性に優れた設計

 

「ムラット124」と聞いてピンと来る方は、かなりの自動車好きか、あるいはトルコに縁のある方かもしれません。この車は、ただの輸入モデルでも、マニアックな限定車でもありません。1970年代のトルコを支えた、本当に“人々の暮らしの中にあったクルマ”なのです。

1971年に登場したムラット124は、イタリアの名車フィアット124のライセンス生産車。とはいえ、ただのコピーにとどまらず、トファシュ(TOFAŞ)という新進気鋭の自動車メーカーが、トルコでの生活や道路事情に合わせて細かく改良を加えながら生産を続けました。セダンタイプの使いやすさ、整備性の高さ、壊れにくさ、そして何より「手の届く価格」。それらが見事にバランスされた1台だったのです。

今回のブログでは、このトルコ初の本格量産乗用車・ムラット124にスポットを当てて、その誕生の裏話から国民車としての活躍、さらには現在でもトルコの路上や映画の中で生き続けるカルチャー的存在としての魅力まで、3つの視点からじっくりご紹介していきます。

 

フィアットとの関係から生まれた“トルコの初代ファミリーカー”

1971年、トルコの自動車史にとって大きな一歩となる出来事がありました。それが、トファシュ社によるムラット124の生産開始です。当時のトルコは、自国製の大量生産乗用車を持たない国の一つでしたが、イタリアのフィアット社との技術提携をきっかけに、その風景が一変します。

フィアット124は1967年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーにも輝いた名車で、シンプルながら信頼性の高い設計と快適な乗り味で知られていました。この車をベースに、トファシュはトルコでの生産体制を整え、「ムラット124」と名付けて市場に投入。イスタンブールの工場で最初の1台がラインオフした瞬間は、まさにトルコの自動車産業元年とも言える歴史的な瞬間でした。

ライセンス生産という形式ながら、ムラット124にはトルコ独自の工夫も盛り込まれていました。舗装が不十分な道路に耐える足回りの補強や、寒暖差の激しい気候に対応する冷却系の調整など、ただのコピーに終わらせなかったのは、トファシュの意地とも言えるでしょう。こうして、ムラット124は「トルコ人のためのフィアット」として、国民から親しまれる存在になっていったのです。

 

国民の足として愛された理由とは?

ムラット124がトルコで「国民車」とまで呼ばれるようになった理由は、単に“安かったから”ではありません。もちろん価格が手頃だったのは大きな魅力ですが、それだけでは語りきれないほど、トルコの人々の暮らしに密着した存在だったのです。

まず特筆すべきは、その堅牢で壊れにくい設計。元となったフィアット124も信頼性が高い車として知られていましたが、トファシュはトルコの道路事情にさらに適応させるために、サスペンションや足回りの強化を行いました。都市部の舗装道路から農村の未舗装路まで、どこでもしっかり走り、しかもメンテナンスがしやすい──これは地方に住む人々にとって大きな利点でした。

加えて、部品の供給と整備のしやすさも支持の理由です。トファシュは国内での部品生産体制も整えていたため、ムラット124の部品は安価かつ手に入りやすく、街の修理工場でも簡単に整備できるクルマでした。こうした背景から、中古車市場でも人気が高く、何世代にもわたって1台を大切に使う家庭も多かったのです。

さらに、「自分の車を持つ」という夢を現実にした存在でもありました。それまで一部の富裕層しか乗れなかった乗用車を、一般家庭でも手が届く価格帯で販売したことで、ムラット124は「最初のマイカー」として数えられることが多いモデルになりました。その存在は、単なる移動手段ではなく、家族の思い出や日常の風景に深く溶け込んでいったのです。

 

映画やドラマにも登場?ムラット124のカルチャー的ポジション

ムラット124は、単なる「古い車」では終わりませんでした。生産が終了してから数十年が経った今でも、トルコでは根強い人気を誇り、ノスタルジーの象徴として愛され続けています。その存在は、まるで日本における「初代カローラ」や「スバル360」のような位置づけとも言えるでしょう。

特に印象的なのは、映画やテレビドラマにたびたび登場していること。トルコ映画の中で、ムラット124はしばしば1970年代〜80年代の時代背景を象徴するアイコンとして使われ、登場人物の生活感や時代の空気を演出するのに一役買っています。古き良き時代のトルコを舞台にした物語では、黄色やベージュのムラット124が、街角や田舎道をゆっくり走るシーンが定番です。

また、若い世代の間でもこの車に魅了される人が増えており、クラシックカーとしてのリバイバル人気も注目されています。ソーシャルメディアでは「#Murat124」や「#HacıMurat」(ムラット124の愛称)といったハッシュタグが多数投稿され、レストアされたピカピカの個体や、オリジナルの姿を保ったレトロな車両が多数紹介されています。トルコ国内では、ムラット124専門のイベントやオーナーズクラブも存在しており、その人気ぶりは一過性のものではなさそうです。

このように、ムラット124はただ走るための道具ではなく、トルコ人の記憶に刻まれた「心の乗り物」として、今もなお現役で活躍しているのです。

 

まとめ

トファシュ・ムラット124は、単なるフィアットのコピー車ではなく、トルコ独自の事情に適応し、暮らしと共に進化した「国民のためのクルマ」でした。フィアットとの技術協力から始まったその道のりは、工業化が進むトルコ社会にとって重要な一歩であり、人々の生活を豊かにする象徴でもありました。

堅牢で壊れにくく、手の届く価格と整備性の高さは、家族の夢を叶えるクルマとして国民から親しまれ、やがてそれはノスタルジーやカルチャーとしても価値を持つようになっていきます。現代でもクラシックカーとして愛され続けているのは、単なる機械以上の「感情」が、このムラット124には宿っているからかもしれません。

もし、トルコの古い街並みを歩くことがあれば、路地裏の片隅に今も静かに佇むムラット124に出会えるかもしれません。その姿は、過ぎ去った時代を語るだけでなく、今もなお走り続ける“トルコの誇り”そのものなのです。