ホドロ・サマンド(初代・ELXグレード)諸元データ
・販売時期:2001年~2010年頃(継続販売あり)
・全長×全幅×全高:4498mm × 1720mm × 1460mm
・ホイールベース:2671mm
・車両重量:1270kg
・ボディタイプ:4ドアセダン
・駆動方式:FF(前輪駆動)
・エンジン型式:EF7(IKCO製1.7L DOHC)
・排気量:1645cc
・最高出力:113ps(83kW)/ 6000rpm
・最大トルク:15.5kgm(152Nm)/ 3500rpm
・トランスミッション:5速マニュアル
・サスペンション:前:マクファーソンストラット / 後:トーションビーム
・ブレーキ:前:ベンチレーテッドディスク / 後:ドラム
・タイヤサイズ:195/60 R15
・最高速度:約190km/h
・燃料タンク:70L
・燃費(推定):約11〜12km/L
・価格:当時のイラン国内価格で約1000万リアル(変動あり)
・特徴:
- イラン初の“ナショナルカー”としての象徴的存在
- プジョー405ベースの信頼性と国産部品化の両立
- 複数の国で現地生産された国際展開モデル
イランの国民車、ホドロ・サマンドが生まれた背景とは?
世界には「国民車」と呼ばれる存在があります。たとえばドイツのフォルクスワーゲン・ビートルや、日本のスズキ・アルトなどがそうでしょう。そんな“みんなのクルマ”が、21世紀初頭のイランにも誕生しました。それが、ホドロ・サマンド。
このサマンドは、イラン最大の自動車メーカー「イラン・ホドロ(IKCO)」が2001年に発表した4ドアセダンで、初めて「ナショナルカー」として位置づけられた記念すべきモデルです。
開発当初から国産化率の向上が掲げられ、エンジンも途中から独自開発されたEF7型へと切り替わるなど、イランの技術力の結晶ともいえる存在になっていきました。しかもただの国内専用車ではなく、サマンドはその後、アゼルバイジャンやベネズエラなどへ輸出・現地生産されるなど、中東・アジアの広い地域で愛されるグローバルモデルに成長したのです。
今回はそんなホドロ・サマンドの魅力に迫るべく、誕生の背景、設計と走行性能の工夫、そして国境を越えて愛されたその姿を3つの視点から掘り下げてみたいと思います。
知られざる“中東の実用車”の物語、どうぞ最後までお楽しみください。
国産技術の象徴:イラン初の“ナショナルカー”としてのサマンド誕生秘話
2001年、イラン最大の自動車メーカー「イラン・ホドロ(IKCO)」が満を持して発表したのが、ホドロ・サマンドです。これは単なる新型車ではなく、イランの産業史において国産自動車技術の自立を象徴する一台として、非常に大きな意味を持っていました。それまでもIKCOはプジョーやルノーといった欧州メーカーと提携し、ライセンス生産を行っていましたが、サマンドはイラン政府が主導した“ナショナルカー・プロジェクト”の成果として誕生したのです。
開発当初、サマンドはプジョー405のプラットフォームを活用していたものの、ボディデザインや内装は完全に新設計。しかも、将来的にエンジンを含む主要部品を自国でまかなうというビジョンのもと、開発が進められていました。初期モデルはフランス製のXU7JPエンジンを搭載していましたが、後にはイラン独自開発のEF7エンジン(共同開発:ドイツのF.E.V社)にスイッチ。この時点で、イランの自動車産業は確実に“脱・依存”へと踏み出していたのです。
この車の登場は、単に工業製品の枠を超え、イラン国内ではある種の国家的誇りとして受け止められました。政治家たちが式典でサマンドに試乗する姿がニュースで報道され、街中では「ついに我が国にも“自分たちの車”ができた」と語られるなど、国民の支持も高かったのが特徴です。まさに、サマンドはイランの夢と希望を乗せたクルマだったのです。
プジョー405からの進化:プラットフォームを継承しつつも独自路線を模索した設計
サマンドはプジョー405のプラットフォームをベースに開発されましたが、そのままのコピーでは終わりませんでした。むしろ、イラン・ホドロはこの骨格を足がかりにしながらも、独自のクルマをつくるという意志を明確に持っていました。その結果として仕上がったのが、ヨーロッパの香りを残しつつも、イランの道路事情やユーザーニーズにフィットした中型セダン、サマンドだったのです。
まず外観は、405の直線的なラインに比べてやや丸みを帯びたボディが特徴的です。これは砂漠地帯の強い日差しを反射しにくくする狙いもありつつ、モダンな印象を与えるデザインになっていました。さらにインテリアも刷新され、エアコンやパワーウィンドウ、中央コンソールのデザインまで、独自の工夫が光ります。快適性や実用性を重視したつくりは、ファミリーユースを意識した結果とも言えるでしょう。
また、イラン国内の道路は舗装状態にばらつきがあることから、サスペンションの設定も堅実でした。マクファーソンストラット+トーションビームの組み合わせは、405譲りの信頼性を引き継ぎつつ、部品供給やメンテナンス性に配慮された選択。これによりサマンドは「壊れにくい」「修理しやすい」といった現地の声にも応えることができたのです。
つまりサマンドは、「フランス製の良さをベースにしながら、イラン流に最適化した一台」と表現するのがぴったり。欧州流セダンのエッセンスを残しつつも、自国の実情を見据えた設計は、まさに“進化型ローカライズ”の好例と言えるでしょう。
中東のロングライフカー:輸出とローカライズで広がったサマンドの足跡
サマンドは当初イラン国内向けに登場したモデルでしたが、その後の展開は非常にグローバルなものでした。中東・中央アジア・南米など、同じく発展途上のインフラ環境や価格に敏感な市場に向けて、**サマンドは“ちょうどいい輸出車”**として存在感を高めていきます。
特に有名なのが、シリア・ベネズエラ・アゼルバイジャンといった国々での現地生産。これは単なる輸出にとどまらず、ホドロが部品供給を行い、各国の工場で組み立てる“CKD(コンプリート・ノックダウン)方式”を採用したもので、現地の雇用創出や産業育成の一翼も担っていました。ベネズエラでは「セントーロ(Centauro)」の名で販売され、一定の人気を集めたことも記録に残っています。
また、エンジンの燃料バリエーションも輸出を見据えて多様化されました。特にCNG(圧縮天然ガス)仕様は、中東諸国や天然ガスのインフラが整備されている地域では歓迎され、コストパフォーマンスに優れたエコカーとして高い支持を得ました。この柔軟性が、サマンドの国際的な寿命を延ばす大きな武器となったのです。
そして驚くべきことに、サマンドは販売開始から20年以上が経った現在でも、一部地域では改良を受けながら生産・販売が続いています。新興国では「壊れにくく、直しやすく、買いやすい」クルマが求められますが、サマンドはまさにその三拍子を満たしたロングライフな実用車だったのです。
ホドロ・サマンドは、派手さこそないものの、イランの夢と現実にしっかり根ざしたクルマでした。国産車としての誇り、実用性を重視した設計、そして国境を越えて活躍するグローバル展開。こうした要素が重なり合い、「自分たちのクルマを持つこと」の意味を、多くの人に体感させてくれたのです。
工業技術の国産化を目指す動きは、経済制裁などで国際的に孤立しがちなイランにとって、ひとつの独立宣言でもありました。その象徴がサマンドだったというわけです。つまりこの車は、単なる乗り物ではなく、時代と国家の希望を乗せたプロダクトでもあったのです。
そして何より、サマンドは“特別じゃないのに特別”な存在でした。価格も性能も、見た目もすべてが「ちょうどいい」。でも、そのバランスの中に、どこか芯の強さが感じられる。そんなサマンドこそ、まさに“中東のビートル”と呼ぶにふさわしい存在かもしれません。