三菱・スタリオン GSR-VR 諸元データ
・販売時期:1982年~1990年
・全長×全幅×全高:4410mm × 1745mm × 1320mm
・ホイールベース:2435mm
・車両重量:約1340kg
・ボディタイプ:2ドアクーペ(2+2シーター)
・駆動方式:FR(後輪駆動)
・エンジン型式:G54B(2.6L・直列4気筒ターボ)
・排気量:2555cc
・最高出力:175ps(129kW)/5000rpm
・最大トルク:30.0kgm(294Nm)/2800rpm
・トランスミッション:5速MT
・サスペンション:前:マクファーソンストラット / 後:セミトレーリングアーム
・ブレーキ:前後ベンチレーテッドディスク
・タイヤサイズ:前225/50R16・後245/45R16
・最高速度:約220km/h(公称値)
・燃料タンク:70L
・燃費(10モード):約7〜8km/L程度
・価格:約250〜300万円(当時)
・特徴:
- ワイドフェンダー+大型リアスポイラーで迫力満点のスタイリング
- インタークーラーターボ搭載の高性能FRスポーツ
- 北米市場向け兄弟車「クライスラー・コンクエスト」も存在
1980年代。バブルの景気とともに、国産メーカーがこぞって「世界に通用するスポーツカー」を生み出していた時代。そのなかで、三菱が送り出した異端児がスタリオンでした。スタリオン――その名前は、力強さとスピードを象徴する“種馬”に由来し、当時アメリカ市場を本気で狙っていた三菱の意気込みを感じさせるものでした。
ワイドフェンダーに大型リアスポイラーを備えた迫力満点のボディ、そしてボンネット下にはインタークーラー付きターボエンジンを搭載。さらにFR(後輪駆動)というレイアウトを採用し、峠でもサーキットでもその実力を存分に発揮できる本格スポーツカーに仕上がっていました。後期型GSR-VRでは2.6Lターボエンジンを搭載し、175馬力を発生。現代でも「走りを楽しめる旧車」として高い人気を誇ります。
また、スタリオンはただの市販車にとどまらず、幻に終わったラリー参戦計画や、映画『キャノンボール2』での劇中登場など、モータースポーツとエンタメの両方で存在感を示した稀有な存在でもありました。今回は、そんな三菱スタリオンの魅力を、デザイン、走り、そしてカルチャーという3つの視点から深掘りしていきます。
アメリカ市場を狙った“マッスル顔”のスポーツカー:デザインとネーミングの秘密
スタリオン。その名前を初めて聞いたとき、多くの人が「え、なんで“種馬”?」と驚いたのではないでしょうか。でも、実はこれ、三菱が本気でアメリカ市場を狙った証拠でもあるのです。アメリカでは、力強さとスピード、そして荒々しい男らしさを象徴する言葉として“スタリオン”はとてもイメージが良かった。単なる日本国内向けではなく、「世界、特にアメリカに通用するスポーツカーを作る」という気概が、車名にもデザインにも込められていました。
スタイリングもその狙い通り、かなりアメリカンマッスル寄り。当初のナローボディもシャープでスマートな印象でしたが、後期型では大きく張り出したワイドフェンダー、低く構えたフォルム、大型リアスポイラーといった“マッスル感”が大幅にアップ。特に1986年以降のGSR-VR仕様では、車幅も拡大され、視覚的な迫力は国産車離れしていました。
ちなみにスタリオンの名前の由来については、「オリオン座の星(Star of Orion)からの造語」という説もありますが、もっとも有力なのは、やはり**“力強い馬(スタリオン)=速くてたくましい”**というストレートなイメージでしょう。北米市場を意識し、クライスラーとの連携で「コンクエスト」という兄弟車名も用意されていたことからも、当時の三菱がいかにグローバル志向だったかが伝わってきます。
見た目も名前も、当時の国産車とは一線を画したスタリオン。アメリカンマッスルに憧れた日本車ファンにとっては、まさに夢を託した一台だったのです。
インタークーラー付きターボエンジンの実力:パワーで語る80年代
1980年代は、国産スポーツカー界が“ターボ戦争”に突入した熱い時代でした。そんな中、三菱スタリオンも本気のターボエンジンを搭載し、走り好きたちを熱狂させた一台でした。特に後期型のGSR-VRでは、2.6リッター直列4気筒ターボ(G54B型)を搭載し、最高出力は175馬力を発生。このパワーは当時の2リッター級ターボ車と比べても堂々たるもので、しかもFRレイアウトと組み合わされていたため、ダイレクトな加速感とリア駆動ならではの操る楽しさを両立していました。
スタリオンが搭載していたターボは、インタークーラーを組み込んだ本格仕様。インタークーラーとは、ターボで圧縮されて高温になった空気を冷やし、より濃密な空気をエンジンに送り込む装置です。これにより燃焼効率が向上し、安定して高出力を引き出せるというメリットがありました。スタリオンのターボは、特に中速域からのパンチ力に優れ、アクセルを踏み込んだ瞬間、ズドンと背中を押されるような加速を楽しめました。
また、後期型では単なるエンジンパワーだけでなく、足まわりの強化も図られました。ワイドボディ化によるトレッド拡大、ベンチレーテッドディスクブレーキの標準装備、そしてLSD(リミテッドスリップデフ)の採用など、本格的なスポーツ走行にも耐える仕様となっていたのです。これにより、峠道でも、サーキットでも、スタリオンは驚くほどの安定感を発揮しました。
スタイリングの派手さに目を奪われがちなスタリオンですが、その中身も相当に本気。2.6Lターボ+インタークーラーというパッケージは、間違いなく80年代を代表する「パワフルな国産FRスポーツ」の一角を担っていたのです。
幻のラリーカーにして映画スター:スタリオンが放った80年代の夢
三菱スタリオンには、もうひとつ知られざる「夢」がありました。それが、世界ラリー選手権(WRC)へのグループB参戦計画です。1980年代中盤、WRCでは過激なマシンたちがしのぎを削るグループBカテゴリーが大流行。三菱もこのフィールドにスタリオンで挑もうと、四輪駆動化されたプロトタイプマシンを開発していました。しかもエンジンには、当時最先端だった可変バルブ機構付きターボエンジンを搭載予定。推定355馬力を発生させるモンスターマシンになるはずだったのです。
実際、スタリオン4WDプロトタイプは1984年にフランス・ミルピステラリーやイギリス・RACラリーにテスト参戦し、好成績を残しました。しかし、グループBカテゴリーはその過激さゆえに安全問題が浮上し、1986年をもって廃止に。この影響で、スタリオンがWRCの舞台に本格参戦する夢は幻と消えてしまったのです。それでも、開発で得られたノウハウは後にギャランVR-4やランサーエボリューションへとしっかり受け継がれていきました。
そしてもうひとつ、スタリオンはスクリーンの世界でも存在感を発揮しました。1984年公開のハリウッド映画『キャノンボール2』では、ジャッキー・チェンが劇中で乗り込むマシンとして三菱スタリオンが登場。近未来的なハイテク装備を満載した設定で、観客の目を釘付けにしました。劇中では水中を走るギミックまで披露するなど、スタリオンは単なる速いクルマ以上の“スター性”を見せつけたのです。
走る舞台を求めたラリーの夢、スクリーンを駆け抜けた映画の栄光。そのどちらもが、三菱スタリオンというクルマに特別なオーラを与え続けています。
まとめ
三菱スタリオンは、ただの国産スポーツカーでは終わらない、多面的な魅力を持った一台でした。アメリカ市場を見据えて誕生したそのデザインとネーミング、インタークーラー付き2.6Lターボエンジンによるパワフルな走り、そして幻となったグループBラリー参戦計画と映画『キャノンボール2』での華々しいスクリーンデビュー。どのエピソードをとっても、「並のクルマじゃない」と思わせるストーリーに満ちています。
とりわけ、後期型GSR-VRのワイドボディに詰め込まれた存在感は、現代においても色褪せることがありません。かつては峠やサーキットで活躍し、今では旧車好きたちの憧れの的。三菱が本気で世界を狙い、夢と情熱を込めたその姿は、今なお多くの人の心を動かし続けています。
時代を超えて輝く、スタリオンという名の伝説。もしあなたが、80年代のクルマたちに少しでも胸が高鳴るなら――この異端にして本気のスポーツカーに、きっと心を奪われることでしょう。