2010年代前半、世界中の自動車メーカーが次々と「コンパクトSUV」の市場に参入し始めた頃、GMはひとつの戦略的な答えとして**シボレー・トラックス(Trax)**を送り出しました。2013年に登場した初代モデルは、北米、アジア、欧州、オセアニアといった多くの地域で展開される“グローバルカー”として設計され、地域ごとに異なるバッジ(たとえば欧州では「オペル・モッカ」)を付ける柔軟な販売戦略がとられました。
日本市場では2014年に導入されましたが、ブランド力や価格帯、そして当時はまだSUV人気が本格化する前だったこともあり、販売は低迷。わずか数年で姿を消すという短命モデルとなってしまいました。
しかしながらこの初代トラックス、実は見どころが多く、現代のコンパクトSUVブームを先取りしていた側面もあります。今回はそんな初代モデルを振り返りながら、その背景、魅力、そして「なぜ今、あらためて注目すべき車なのか」を紐解いていきます。
世界戦略モデルとして誕生したトラックスの“多国籍な背景”
初代シボレー・トラックスは、2013年にデビューした小型SUVで、実はGMのグローバル戦略を象徴する存在でした。企画・開発の中核を担ったのは、韓国GM(旧・大宇自動車)であり、当時のGMにとって韓国は“アジアの開発拠点”として重要な位置付けにありました。
このトラックス、ひとつの車種でありながら販売される国・地域によってブランド名が異なるという非常にユニークな展開をしていたのが特徴です。たとえば欧州では「オペル・モッカ(Opel Mokka)」、イギリスでは「ヴォクスホール・モッカ(Vauxhall Mokka)」、オーストラリアでは「ホールデン・トラックス(Holden Trax)」と名乗り、それぞれの地域の既存ブランドと融合する形で販売されていました。もちろんアメリカでは「シボレー・トラックス」として登場しています。
この“バッジ戦略”は、各地域でのブランド信頼度やディーラーネットワークを最大限に活かすためのもので、効率的かつ柔軟なマーケティング手法でした。現代ではトヨタや日産もプラットフォームの共用やブランド間のOEM供給を行っていますが、当時のGMはすでにそれをグローバルスケールで実現していたのです。
その意味で、トラックスはただのエントリーSUVではなく、**「グローバルSUV市場の探査機」**のような役割を持っていたとも言えます。各市場でどう受け入れられるのかを試し、戦略を練るための重要なパイロットモデル。車そのものよりも、その“存在の意味”に注目すべき一台なのです。
「早すぎた名脇役」──トラックスの実力
2020年代に入り、街中でもSUVを見かけるのが当たり前になりましたが、初代シボレー・トラックスが登場した2013年当時、**コンパクトSUVというジャンル自体がまだ“模索段階”**にありました。
トヨタ・C-HRやマツダCX-3が登場するよりも前、ホンダ・ヴェゼルですら市販前という時代背景を考えると、トラックスがいかに先進的なポジションにいたかがわかります。
ボディサイズは全長4,250mm前後と日本の道路環境にも適した「ちょうどいい」サイズ感で、取り回しの良さとSUVらしい地上高を両立。当時は“コンパクト=安っぽい”という固定観念が強かった時代ですが、トラックスは上質感こそ控えめながらも、堅実で信頼性の高い走りを提供していました。
搭載されたエンジンは1.4L直噴ターボ。最高出力140馬力、トルク204Nmというスペックは今の基準では平凡かもしれませんが、軽量な車体と相まってキビキビとした走りを実現。特に市街地や郊外での加速感は“ストレスフリー”の一言に尽きます。また、電子制御式オンデマンドAWDが用意されていた点も特筆すべきポイントで、雪国ユーザーやアウトドア派にとっては大きな安心材料でした。
インテリアはシンプルながら使いやすく、センターコンソールの配置や収納の多さなど、実用本位の設計が好印象。Bluetoothやバックカメラなど、当時としては“ちょっと先取りした”機能が標準装備されていたのも嬉しい点でした。
市場では決して華々しい存在ではなかったものの、その先見性と堅実な中身は、今振り返ると非常に魅力的に映ります。「流行る前に来て、流行る前に去った」──そんな、早すぎた名脇役こそが、初代トラックスの本質かもしれません。
トレイルブレイザーとの微妙な関係性
トラックスの後を継いで登場したかに見えるトレイルブレイザー。しかし、それは“直系”ではなく、まるで別の家系図から引っ張り出された兄弟のような存在でした。シボレーは名前を変えただけではなく、車のキャラクターまで作り替えてきたのです。
トラックスは実直で、控えめで、実用主義だった。対するトレイルブレイザーは、都会的で華やか。ユーザーに寄り添うのではなく、ユーザーに「選ばれる」ための姿勢を明確にしたクルマです。ボディのライン、内装の質感、そしてグレード構成──あらゆる点が、より“魅せるSUV”として仕立てられていました。
そして販売戦略も変化しました。トラックスが市場に問いかけたのは、「こういうサイズ、こういう性能、どうですか?」というスタンスだったのに対し、トレイルブレイザーは「これが欲しいんでしょう?」と答えを提示してきます。消費者の成熟とともに、メーカー側の語り口も変わったのです。
そう考えると、2台の間にあるのは血縁ではなく、“時代のリズム”なのかもしれません。SUVの多様化、ユーザーの目線の変化、そしてブランドの再定義。そのすべてが、トレイルブレイザーという別の形を生み出しました。
トラックスが築いた足場は、次世代にそのまま受け継がれることはありませんでした。けれど、そこにあった「小さくてもしっかり走る、使えるSUVを届けたい」という想いは、確かに今のシボレーの中に息づいているのです。
まとめ
初代シボレー・トラックスは、振り返ればとても不思議な存在でした。派手さはなく、ブランドを象徴するようなアイコンにもなれなかった。けれど、時代の一歩先を行く視点と、使い勝手の良さを備えた“誠実な一台”だったことは間違いありません。
当時の日本では、シボレー=アメ車=大排気量というイメージが根強く、トラックスのようなコンパクトな輸入SUVは市場の中で迷子になりやすかった。価格帯も国産SUVに比べて微妙に高く、装備やブランドイメージの差もあり、結果として“見つけてもらえない存在”だったのです。
それでも、いま改めてスペックやデザインを見返すと、「これ、意外とアリだったんじゃない?」と感じさせてくれる。少なくとも、現在のトレンド──コンパクトで、合理的で、それでいて少しだけ個性を感じるクルマ──の先取りだったことは確かです。
また、トレイルブレイザーへとバトンが渡り、さらに2024年には北米で“新型トラックス”が登場した今、シボレーが描こうとしていたコンパクトSUVの在り方は、新たな形で再構築されつつあります。初代トラックスが残したヒントは、いまも確かにブランドの中に息づいているのです。
地味で、短命で、けれども確実に「意味のある一台」だった初代トラックス。たとえ歴史のメインストリームから外れていたとしても、その影には車づくりの情熱と、市場を切り開こうとする挑戦が詰まっていました。
今だからこそ──この“忘れられた名脇役”に、もう一度スポットライトを当ててみる価値があるのではないでしょうか。