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アルファロメオ・アルナ:イタリアの情熱と日本の合理性がぶつかった日

アルファロメオ・アルナ 諸元データ

生産期間
1983年~1987年

製造国
イタリア(アルファロメオと日産の合弁企業)

ボディタイプ
3ドア/5ドアハッチバック

駆動方式
FF(前輪駆動)

ボディ寸法・重量
全長:4,000 mm
全幅:1,621 mm
全高:1,340 mm
ホイールベース:2,416 mm
車両重量:約850~920 kg
乗車定員:5名

エンジン・性能
エンジン形式:水平対向4気筒SOHC(アルファスッド用を流用)
排気量:1,186cc / 1,351cc / 1,490cc
最高出力:

  • 1.2L:63 PS

  • 1.3L:71 PS / 86 PS(仕様による)

  • 1.5L:95 PS
    燃料供給方式:キャブレター
    最高速度:約170~175 km/h(1.5Lモデル)

トランスミッション
5速マニュアルトランスミッション(標準仕様)

サスペンション形式
前輪:独立懸架(マクファーソンストラット式
後輪:独立懸架(トレーリングアーム式)

ブレーキ形式
前輪:ディスク
後輪:ドラム(上位仕様はディスク)

タイヤサイズ(標準仕様)
165/70 R13

燃料タンク容量
約50リッター

 

 

アルファロメオ・アルナは、1980年代にアルファロメオと日産のコラボレーションによって生まれたコンパクトカーです。その姿かたちは「イタリアの情熱」と「日本の合理性」が融合したものと期待されましたが、結果として誕生したのは「絶妙にチグハグ」という、ある意味ではとてもユニークなクルマでした。イタリアン・ブランドのアルファロメオが得意とするスポーティーな走りやデザインと、日本車らしい信頼性や実用性がうまく噛み合ったのかというと、正直に言えばそうとは言い難い評価を受けることが多かったのです。そのため、アルナは今でも一部のマニアからは「ある意味、最も奇妙なアルファ」と呼ばれたり、「アルファロメオ黒歴史」なんて紹介されたりすることすらあります。しかしながら、当時の自動車業界では各国メーカーの提携や技術協力が盛んに行われ、実際に日産とアルファロメオもお互いにメリットを見出していました。アルナが誕生した背景や、実際に市販された車両の魅力・欠点を改めて振り返ってみると、あのコラボレーションは「当時の時代感」を色濃く映し出した挑戦でもあり、失敗だけでは終わらない意義があったとも言えます。歴史の振り子が大きく揺れ動く中で生まれたアルナには、一見すると不思議な部分や理解しがたい点が多々ありますが、それゆえに「どうしてこんなクルマが生まれたのか?」と興味をそそられる方もいらっしゃるでしょう。そこで今回のブログ記事では、アルファロメオ・アルナ誕生の背景や、デザインと走行性能のギャップ、そして現代から振り返る意外な再評価まで、三つのトピックに分けて紐解いていきたいと思います。アルナを単なる珍車として笑い飛ばすのではなく、イタリアと日本、それぞれの自動車文化が交差した貴重な一瞬として眺めてみると、また違った味わいが出てくるかもしれません。イタリア車好きの方はもちろん、「変わり種のコラボカー」に興味がある方にもぜひお付き合いいただければ幸いです。

アルナ誕生の背景とアルファロメオ×日産の思惑

アルファロメオ・アルナが世に出るまでの過程を紐解くには、まずは1980年代前半のヨーロッパと日本の自動車業界の動きを知ることが欠かせません。当時のイタリアでは、フィアットアルファロメオなどの国産メーカーがそれぞれ個性豊かなモデルを送り出していましたが、技術革新や生産コストの高騰、さらに輸出市場での競争力維持という課題を抱えていました。アルファロメオは官営企業の一部門として経営が続いていたものの、財務的には厳しい局面に立たされていたのです。そのため、自動車先進国として成長著しい日本の大手メーカーとの協力は、技術移転や開発コストの削減といった面でも「喉から手が出るほど欲しい」カードだったといえます。
一方の日産は、海外市場拡大に意欲を燃やしていましたが、ヨーロッパにおける現地生産体制の拡充が急務でした。いわゆる“日欧自動車戦争”とも呼ばれた時代の中で、日本メーカーは欧州各国から輸入規制の圧力を受けることが少なくなく、それを回避するには現地生産や現地メーカーとの合弁が効果的だったのです。そこで手を組んだのがアルファロメオというわけですが、最終的には両社の生産拠点を活用し合い、「イタリアで日産車を現地生産する」「日本の技術やプラットフォームをイタリア車の開発に生かす」という方針が打ち立てられました。アルファロメオは小型ハッチバック市場に強い競合がいることを痛感しており、それに対抗するために日産のチェリー(パルサー)系プラットフォームをベースに自社のエンジンやデザイン要素を組み合わせるという計画を持ち込んだのです。
こうして着想されたのが「アルナ(ARNA)」というコンパクト・ハッチバックでした。名前の由来は、Alfa RomeoNissanの頭文字を掛け合わせたもので、「Alfa Romeo Nissan Autoveicoli」の略称とも言われています。計画段階では「イタリアの美と走りのノウハウ×日本の品質と信頼性」という、夢のようなコラボが描かれていたようです。実際、新聞報道や業界の一部でも「最強のコンパクトカーが誕生する」という期待が高まっていました。アルファロメオのブランドイメージを向上させるためにも、“安くて良質な日本の生産技術”を取り入れることは大きなメリットと思われていたのです。
しかし、現実はそう甘いものではありませんでした。日産のチェリー(N12型)をベースにしたシャシーに、アルファロメオのボクサーエンジン(直4水平対向)を組み合わせるというコンセプトは、「設計思想や部品の相性面で苦労が絶えなかった」というのがもっぱらの噂です。さらに、両社の文化や開発体制の違いが、細部のクオリティに大きく影響したとも言われています。アルファロメオ側はデザインやエンジンサウンドのこだわりを最優先したい反面、日産側は生産効率や低コスト化を重視する傾向が強く、二つの価値観が必ずしも美しく融合しなかったのです。そうしたギャップは、後述するアルナのデザインや品質、そして市場での評価にも如実に表れることになりました。しかし、このプロジェクト自体は1980年代のグローバル化の潮流を象徴するものであり、もしも両社がもう少し時間やリソースをかけて協業を深めていれば、違った結果になったかもしれません。

アルナのデザインと性能がもたらした“ちぐはぐ感”

アルファロメオ・アルナを実際に見てみると、まず感じるのは「これはいったい何者なんだろう?」という不思議な印象かもしれません。フロントマスクにはアルファロメオの盾形グリルが設けられているものの、全体のシルエットやプロポーションはどことなく日本の大衆車的な雰囲気を醸し出しています。ボディサイズはコンパクトでありながら、イタリア車らしいデザインの“こだわり”を期待すると「意外と地味かも……」と思わされるかもしれません。これはベースとなった日産チェリーシャシー・車体構造が色濃く反映されているためで、アルファロメオのデザイナーが思い切り手を加えられなかったという背景があるといわれています。
しかし、アルファロメオアイデンティティをまったく捨てているわけでもありません。ボンネットを開ければ水平対向エンジン(ボクサー)が鎮座しており、スペック上は1.2リッターから1.5リッター程度の排気量で、アルファロメオらしいエンジンフィーリングやサウンドを期待できる設計になっていました。といっても、日産との共同開発の中で制約が多かったせいか、本来のアルファロメオのボクサーエンジンが持つ個性がフルに発揮されていたかは疑問です。エキゾーストノートはそこそこ魅力的という声もあれば、「チェリーの足回りではエンジン特性と噛み合わない」と評価する向きもあり、要するに“中途半端”な印象が強かったようです。
乗り味に関しても、アルファロメオ本来のスポーティーさがどこまで感じられたかという点で議論が分かれます。低速域でのトルクはそこそこあるものの、高回転まで気持ちよく回るかといえば少し物足りない。ステアリングの感触はイタリア車特有のダイレクト感を期待すると意外と淡泊で、サスペンションセッティングにしても日本車らしいソフトな乗り心地に寄ってしまった部分があるというのです。もちろん、実際に所有した人からは「コンパクトなボディで街乗りがしやすく、エンジン音もほどほどに楽しめる」という好意的な意見もありましたが、アルファロメオ・ファンが思い描く「刺激的な走り」とは少し離れていたのかもしれません。
デザイン面でいえば、フロントグリル以外にもアルファロメオのロゴやエンブレムがあちこちに配置されてはいるものの、シンプルな日産チェリーのボディにぽんと貼り付けたような感が拭えないのは事実でしょう。これほど地味な見た目のアルファロメオというのは当時としても異色でしたし、そのせいで熱烈なファンからは「アルファロメオらしさが台無し」と酷評されることもしばしばでした。逆に日産ファンからすれば、「チェリーをアルファロメオ風に仕立てた」と捉えられなくもないのですが、日本ではほとんど販売されなかったため、認知度は低いままです。こうした“イタリアンとジャパニーズのちぐはぐな組み合わせ”が、アルナをより一層ミステリアスな存在にしているようにも思えます。
しかしながら、批判ばかりでもないのが面白いところです。なかには「この奇妙な融合こそ、1980年代の国際共同開発の象徴であり、歴史的価値を感じる」と評価するコレクターも存在します。アルナの不思議な外観や、なんとも言えない走りのキャラクターは、今となっては“唯一無二の魅力”として語られることもあるのです。完成度が高いとはお世辞にも言えないかもしれませんが、どこか憎めない、まるで寄せ集めのバンドが奏でる一曲のような味わいを持ったクルマ――それがアルファロメオ・アルナといえそうです。

現代から見たアルナの価値と意外な再評価

アルナが当時の市場で大成功を収めたかといえば、残念ながら答えは「ノー」でした。イタリア本国でも販売は振るわず、もともと限定的な数しか作られなかった上に、アルファロメオと日産の提携自体が短命に終わったことも相まって、生産期間を通じて販売台数は伸び悩みました。そもそもアルファロメオといえば、ジュリアやアルフェッタなどスポーティーかつエレガントなイメージを長く培ってきたブランドです。そんなブランドから突然現れた地味なハッチバックに、ファンが違和感を抱くのは当然といえば当然でした。まるでロックミュージシャンがアイドル風の曲をリリースしたようなものかもしれません。
では、現代になってアルナはどのように評価されているのでしょうか。一部のクルマ愛好家やコレクターは、むしろこの“中途半端”が逆にレアで貴重だと捉え、熱い視線を注ぐようになってきました。今となっては台数もかなり少なく、オリジナルの状態を保った個体を探すのは至難の業です。各種パーツや整備面の問題もあり、ましてや日本国内でアルナに出会えるケースはほとんど奇跡に近いかもしれません。そうなってくると、クルマ好きの中には「見かけたら絶対に写真を撮ってしまう!」という人もいて、その希少性から“幻のアルファロメオ”などと呼ばれることもあるのです。
また、1980年代の自動車業界における国際提携やブランド戦略を振り返る際、アルナは良くも悪くも“重要な教訓”を残した例として語られます。会社同士の思惑が必ずしも現場レベルでうまく融合しないという事実、マーケティングの見通しが甘いとブランドのアイデンティティにダメージを与えかねないというリスク、そして「性能や品質が良ければ必ず売れるとは限らない」という厳しい現実など、アルナの存在は大いに示唆に富んでいるのです。一方で、もしアルナが成功していれば、その後のアルファロメオと日産のコラボが進展し、まったく新しい名車が誕生した可能性も否定できません。そうした“もしも”を想像すると、自動車の歴史がいかに一本の道筋ではなく、無数の分かれ道の積み重ねで成り立っているかが見えてきます。
現代の視点からみると、「アルナは失敗作だった」という一言で切り捨てるのは簡単ですが、実はそこには多くの開発者たちの苦悩や、国際協力の試み、そして何とかして“新しい価値”を生み出そうとした努力の跡が隠されているのだと思います。その努力の結晶がアルナという形で残され、今でもごく少数ではあってもオーナーが大切に乗り続けているという事実こそが、このクルマが完全なる黒歴史ではないことを物語っているのかもしれません。もしも今後、レストモッドや電動化の流れの中でアルナを蘇らせるようなマニアが現れたら、それはそれで再び大きな話題を呼ぶかもしれませんね。そういう想像をするだけでも、アルナがただの“珍車”に留まらない魅力を秘めていることがうかがえます。

まとめ

アルファロメオ・アルナは、イタリア車ファンの間では語り草となっている“奇妙なコラボレーション”の象徴であり、1980年代という国際提携の波が押し寄せた時代を映し出す歴史的産物でもあります。アルファロメオが培ってきたスポーティーなエンジン技術やブランドの情熱と、日産の合理的な生産方式やシャシー設計が、まさに「混ざり合いきれなかった」という点でアルナの評価は低迷しました。そのちぐはぐ感は市販モデルにも色濃く表れ、販売は振るわないまま幕を閉じます。しかしながら、その背景や誕生の経緯を振り返ると、そこには単純な“失敗作”では語り切れないドラマや学びが詰まっているのです。
現代では台数の少なさから稀少な一台としての価値が高まり、一部のマニアやコレクターからは逆に“特別なアルファロメオ”として熱視線を浴びています。国際共同開発が当たり前となった今の時代にこそ、アルナのように意図がうまくかみ合わなかった事例を知ることは、自動車の歴史を俯瞰するうえで重要な意味を持つのではないでしょうか。もし街角でアルナを見かけることがあれば、ぜひ「ああ、あれが噂のアルファロメオ×日産の共同作業の結晶なのか」と思い返してみてください。イタリアと日本の自動車メーカーが手を取り合い、試行錯誤の末に生まれた小さなハッチバックには、派手な成功よりもずっと味わい深い物語が詰まっています。アルナを知ることで、クルマ好きとしての視野がちょっぴり広がるかもしれません。そんなほんの少しの好奇心と優しい目でアルナを眺めると、このクルマが未だに忘れられない存在になっている理由が、なんとなくわかってくるはずです。